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【SS】 一人より二人 #シロクマ文芸部

 紅葉鳥が切ない声で鳴いている。紅葉鳥とは鹿の異名らしい。昔の日本人は本当に発想がすごいなと思う。赤く色づいた紅葉の葉が足元を埋め尽くし、時折吹く風が落ち葉を舞い上がらせる。紅葉の葉は鹿の肌と同化して余計に切なく感じる。茜色の夕日を背中から浴び、雄鹿は凛とした姿をこちらにむけているが、その目元は潤んだようにも見える。じっと見つめていたかと思うと、悲しげな声で訴えかけるように鳴いた。

「キュイー、キューイ」

 立て続けに鳴く様は、まるで愛しい人を亡くして悲しんでいるかのような声だ。だが、しばらく鹿の様子を見ているとどうやら悲しんでいるのではないらしいというのがわかった。ちょうど今は晩秋に入る頃、雄鹿は雌鹿を求める恋の季節だということを思い出した。そう、これは雄鹿の求愛の鳴き声なのだ。雄鹿の声を聞いて、遠くの方から雌鹿の警戒する鳴き声があちこちから戻ってきた。

「ピィ、ピィー」

 だが雄鹿は諦めない。雌鹿が集まってくるまで鳴き続けるのだった。よく見ると雄鹿の首周りは擦り付けた泥で汚れている。紛れもなく発情期に入っている証拠だ。次第に寄ってくる雌鹿を従え、雄鹿はしたやったりのドヤ顔で森の中に消えていった。なんだか羨ましく思えた。

 雄鹿は群れから離れ行動し、秋口になると戻ってきて求愛し、ハーレムを作り繁殖するのだそうだ。ただ、求愛の時に鳴く声が物悲しく聞こえてしまうということで、昔から歌に詠まれることが多かったと何かの本で読んだ記憶がある。

 僕は今、都会の雑踏から逃げ出し、一人で神奈川県の丹沢山を歩いている。何かあると山歩きをしたくなるのは昔からの癖だ。都会を離れると紅葉も綺麗だし、何よりも空気がうまい。そして時折遭遇する野生の鹿たちから生きる力を分けてもらう。今回もそんな一コマだった。鹿が立ち止まりこっちをじっと見つめる姿は愛くるしくもあるが、鹿からすれば警戒のために見つめているのだろう。ちょっと変な動きを見せるとサッと踵を返して森の中に消えてしまうのだから。ふと、東京にいる彼女のことが脳裏をかすめた。

『やっぱり、一緒に来れば良かったかなぁ。ちょっと前にどうでもいいようなことで喧嘩したから、誘いづらくて一人で来てしまったけど、一緒だったらもっと楽しかったのかもしれない。僕も、雄鹿のように鳴いてみようかな』

 そんなことを思いながら、思わず彼女にラインした。

『この前はゴメン。今、むしゃくしゃしてたから丹沢に一人で来て山歩きしてるんだ。なんだか、ユナに会いたくなっちゃった、もの凄く。明日は土曜日だよね、小田原あたりで会えないかな』

 可愛いスタンプで「OK」の返事が返ってきて、心が軽くなった。明日は今日よりもっと楽しい一日になりそうだ。


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