【SS】 コスモスの季節 (3521文字) #シロクマ文芸部
爽やかな風が頬を撫でる。去年よりもずっと暖かい秋。それでもそろそろコスモスも咲き始める時期がやってきた。千秋は青く晴れ渡った空を見上げ大粒の涙をポロポロと溢しながら一人で呟いている。
「ねぇ、春雄。そろそろコスモスの季節がやってきたわ。でも、どうしてあなたは去って行ったの、私を置いて。私は本気じゃなかったのに」
毎年秋になると春雄と千秋は近くにあるコスモス園までのデートを楽しんでいた。春は桜で秋はコスモスを観に行くことが当たり前のように習慣になって、五年が経っていた。今年の夏に些細なことで別れてしまい、千秋は一人で秋を迎えていた。
春雄は千秋より三つ上で今年二十八歳、ある国産車大手のディーラーに勤務していた。千秋は学生の時、たまたまそのディーラーが開催するイベントにコンパニオンガールとして大きな会場にバイトにきていた。五年前の二十歳になったばかりのまだどこか幼さが残る女の子だった。イベントでバイトに指示を出している春雄は千秋のところにもやって来て声をかけた。
「君はこの車の横で案内をしてくれる。これが我が社の一押しの車なんだ。かっこいいだろ。ここに特長が書いてあるから頭の中に叩き込んでおいてくれる。アッ、車は好きなんだよね。えーっと、倉本千秋さんかな。アッ、僕は杉山春雄。あれ、春と秋だね。僕たちの名前って過ごしやすい季節同士だね。なんだか気が合いそうじゃない」
「えっ、あ、はい。でも私、車はそんなに詳しくないんです」
「あれっ、そうなの。てっきりここでバイトしてるから車好き女子かなって思ったよ。そうか、じゃあ、お客さんが来てわからないことを聞かれたら、僕に聞きに来て。お客さんにはすぐに確認してきますから少しお待ちくださいって言えばいいよ。きっと可愛いから待っててくれるはずだから、ネッ」
「はい、わかりました。それからこのガイドに書いてあることは、頑張ってしっかり覚えます」
お互いにガッツポーズでやる気を確認した。これが春雄と千秋の初めての出会いだった。人懐っこく話しかけてきた春雄に魅力を感じた千秋だったし、春雄もまた可愛らしい千秋が一目で気に入った瞬間だった。イベントも無事終了した後の打ち上げの席でお互いの距離はグンと縮まり、付き合い始めるようになっていった。最初は春雄が乗っている車の自慢話を聞いているだけの千秋だったが、次第に車に対する知識も増え車好きへと変貌していったのである。車に興味を持ち始めた千秋は他社の車とも比較をするようになり、春雄が乗っている車が古臭く感じ始めていた。追い打ちをかけるかのようにポルシェに乗っている彼氏を持つ女友達からもチクリと嫌味を言われたことがあった。「千秋の彼氏はいつ新しい車にするの」と。なんとなくモヤモヤが続いていた。そして、今年の夏。
「ねぇ、春雄。春雄の車ってさ。もうだいぶ乗ってるよね。ディーラーに勤務してるんだからそろそろもっとかっこいい車に買い替えたら。社員割引とかもあるんでしょう。もう七年くらい乗ってるんだから替え時じゃない」
「ああ、新しい車が欲しいのは山々なんだけどさ。今は貯蓄してるんだよね。もっと買わなければならないものもあるしさ」
「えー、何よ、買わなければならないものって。ドライブしてる時なんかさ、新しい車に乗ってるカップル見ると悔しくなるんだよね。羨ましくてさ。春雄は普段贅沢してないんだから車くらい新しくしてもいいんじゃないの。まだ若いんだから。私も少しならお金出してあげられるよ」
「まぁ、何を買うかは今はまだ千秋には言えないけどさ。千秋もちゃんと貯金しておいた方がいいと思うよ、今は」
「えー、だって若い時に楽しんでおかないとおばあちゃんになっちゃうじゃない」
「ははは、まだ千秋は十分に若いから大丈夫だよ」
この状態で話が終われば何も問題にならなかったのかもしれないが、カチンときた千秋は余計な一言を放ってしまったのである。デートしても贅沢なレストランに行くわけでもなく、お互いの部屋か近くの公園や映画館に行くことが多かった。知り合った最初だけはそんなこともあったが、いつからか節約デートに変わっていた。どういうわけか春雄は節約する毎日を送り始めていたのだ。そんな時、千秋は「彼氏から買って貰ったの」というブランドもののバッグを友達から自慢されていたりしていたので、余計に春雄と付き合っている自分が惨めに感じ始めていたのだ。
「何よ、もう。本当にケチね、春雄は。私、もう着いて行けないわ。私、ケチな人は嫌い。心が狭くなっちゃいそうだから。私の友達なんてみんな彼氏と美味しいものを食べに行ったり、旅行したりしてるんだから、若い時にしか楽しめないでしょうって言われているのよ、私。春雄とのデートは、いっつも貧乏くさいしさ」
「なんだよ。そんなこと思ってたのかよ」
「そうよ、だから、そのケチケチ習慣を止めてくれないんだったら、私たちは終わりよ」
「はっ、そんなことしか考えられない女だったのか、千秋は。なんだかがっかりだな」
「何よ。そんなに言うのなら別れてもいいわよ。もっとリッチな男を見つけてやるんだから」
「そんなに軽い気持ちで付き合っていたのかよ。わかったよ、もう終わりかもな」
売り言葉に買い言葉。そのまま二人は喧嘩別れとなりお互いに意地をはり連絡もしなくなってしまった。そして、いつしか夏が終わった。いつもより暑い夏だったのに二人の間には冷たい空気が漂ったまま、距離を作ってしまった。気が付けば音信不通の状態が三ヶ月も過ぎてしまい、コスモスの季節になっていたのである。
その頃、春雄も仲直りをするきっかけを作れず、ヤキモキしていた。それでも春雄は貯金した通帳の残高を確認して、幾つかのパンフレットを食い入るように見ていた。
「頭金はなんとかなりそうだ。後は千秋が気に入ってくれるかどうかだな。気まずい会話から一度も連絡してないしなぁ。でもズルズルと時間だけ過ぎてしまうのは不本意だし。よし、コスモスの時期にもなったしラインを入れてみよう」
春雄は簡単なメッセージをラインで千秋に送った。毎年行っているコスモス園の近くにあるカフェで待ち合わせようと誘った。最後に大事な話があるからと付け加えておいた。久しぶりにラインを受け取った千秋は最後の一文だけが引っかかっていた。
「大事な話ってなんだろう。本当に別れるつもりなのかなぁ。私、春雄と離れたくないのに」
沈んだ気持ちのまま千秋はカフェに向かった。少しでも可愛く見せたいと思い秋色のワンピースを着て少し伸びた髪をカールしていた。それでも表情は硬いまま。ラインが気になり笑顔にはなれなかった。カフェに到着すると奥の席で先に着いた春雄が待っていた。千秋に気づいたのか大きく手を振っている。
「あの場所に行ったら別れ話を切り出されちゃうのかな」
そう思った瞬間、足が重くなった。一歩ずつゆっくりと春雄のところまで進んで座ることもなく下を向いて立ったままでいると春雄が声をかけた。
「どうしたんだよ。立ってないで座んなよ。この前はごめん。ちょっと大人気ないと反省したんだ。それで三ヶ月間色々と検討してさ、千秋に話をしようとやっと決心したんだ」
「えっ、ううん。私の方が悪いの。春雄は悪くない。友達からチクッと言われて見栄を張りたくなっちゃったのよ。ごめんなさい。私、、、春雄と別れたくない」
そう言ったかと思うと涙が一筋流れてしまった。焦ったのは春雄だ。慌てて立ち上がり、自分の左隣の椅子を引き出して千秋を座らせた。そんな千秋を見るのは初めてだったため、どうすればいいかテンパっていると千秋の方が切り出した。
「ねぇ、大切な話って別れ話なの。この前のことで本当に別れることになるの、私たち」
「えっ、別れる、僕たちが。何で?」
「だって突然、大事な話があるって」
「あー、ごめん。そんな風にとっちゃんたんだ。難しいなぁ、文章で伝えるって。逆だよ逆。あのね。僕は千秋と結婚したいんだ。そのために一生懸命貯金を始めたんだよ。付き合い始めてから一年くらい経った頃からかな。それでね、色々検討してたってわけ。千秋、時々喧嘩はするかもしれないけど、僕と結婚してくれる?」
「そう言うことだったの。心配して損したー。春雄のバカー。あー、でも良かった。別れ話じゃなくて」
「いやいや、そんなわけないし。で、返事は」
「もちろん、オーケーです。よろしくお願いします」
「じゃあ、僕が探したマンションのパンフレットを一緒に見よう」
仲直りをした二人は、春雄がテーブルの上に広げた新築マンションのパンフレットを見ながら将来のことについて話し合いを始めていた。
了
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