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【SS】後悔しない卒業式にするために(3828文字)  #シロクマ文芸部

 三月になり椿の悩みはピークに達していた。卒業式を前に後悔だけはしたくないという想いが強くなっていたのだ。実際には想うだけで何もできないまま二月を過ごしてしまい、遂に卒業式の三月一日を迎えてしまったのだ。

 三月一日の朝、いつもよりどんよりと曇った日のような心で制服に着替え、母親が準備してくれたホットミルクとトーストにもほとんど口をつけることなく、玄関に向かった。

「椿、どうしたの。今日は高校の卒業式でしょ。朝ごはんは入らないの? 困った子ね、本当に。それにしても、もっと晴れやかにシャンとして登校しなさい。なんだか背中から負のオーラが出まくってるわよ。まぁ、みんなとお別れになるんだから悲しいのはわかるけれど。後からお父さんと一緒にお母さんも見に行くからね」

「うん、じゃあ、行ってきまーす」

 椿は「みんなと別れるからどんよりしてるんじゃないんだけど、お母さんにも言えないしな」と思いながらいつもの通学靴を履き、ゆっくりと玄関の扉を開けて学校に向かって歩き出した。学校までは歩いても十五分くらいの距離なので、いつも徒歩で通っている。自転車通学の許可が下りない微妙な距離だった。だが、そのことが今回の悩みに繋がってしまうということは思ってもいなかった。

 いつものように歩いていき、路地を右に曲がる。そこに古い洋館が建っている。まるで示しあわせたかのように洋館から一人の男子が出てきた。トニーというアメリカ人だ。彫りが深く凛々しい顔つきでまるでハリウッドスターのように見える学校でも評判の生徒だ。高校生にしては背も高く、すでに180センチを超えている。椿も背が低い方ではなく165センチはあるので二人並ぶとお似合いのカップルのように見えていた。

「おはよう。いよいよ、今日卒業式だね、トニー」
「ああ、椿、おはよう。いよいよ今日がやってきたね。準備できてる?」
「ううん。気持ちの整理がつかないし怖いし、大丈夫かなぁ」
「まぁ、僕も似たようなもんだけどさ。やっぱり怖いよなぁ」

 二人は一瞬立ち止まり、お互いの手を強く繋いだ。そして見つめあった。不思議なことに通学や通勤道路なのに誰もいない。普段の生活の音さえも聞こえてこないのだ。

「うん、怖い。あの角を曲がったところにあるんだよね。入り口」
「ああ、もう時間も迫ってるし、行くしかないよね。僕たち二人だけで」
「そうだね。でもトニーと一緒だから私も何とか行こうと思ったのよ。今朝家を出る時にお母さんにも言われちゃった。もっと晴れやかにシャンとしなさいって。でも、無理だよね。今からのことを考えてたら朝ごはんも食べられなかったわ」
「僕もさ。でも選ばれたのは僕たちだから、僕たちが何とかするしかないんだよね。不思議なことだけど、他の人に言っても信じてはもらえないしさ」
「そうよね。ねぇ、絶対二人で戻ってこようね。無事に戻ってこれたら、トニーにチューしてあげるから」
「えっ、本当。よし、勇気が出てきたぞ。椿、僕から手を離すんじゃないぞ」

 二人はギュッと繋いだ手に力を込めて角を曲がった。そこには渦を巻いて歪んでいるような空間が現れていた。二人ともゴクリと唾を飲み込み、お互いを目で確認しながら、勢いよく歪んだ空間をめがけ飛び込んだ。上下左右がわからない空間だった。二人は思わず抱き合ってお互いが離れないように力を入れ、周りの不思議な力に流されていた。抱き合った体は回転していたが、宙に浮いている状態の二人には全く感じることはなかった。ただ、景色が消えた世界で強い風のようなものだけを感じていた。次第に体が安定し、周りの景色が見えるようになった。

 綺麗な青空の下、多くの人が通勤通学のために行き交っている。抱き合っている二人をジロジロと見ながら通っていくサラリーマン。似たような制服を着た女子学生同士がヒソヒソと揶揄するようなことをいいながら遠巻きに二人を見て歩き去っていく。トニーと椿も違和感に気づき抱き合ったポーズからは離れるが、すかさずトニーの左手と椿の右手は繋がれた。一瞬たりとも離れてはまずいと二人とも感じている。椿は左手に付けているアップルウォッチを確認してみた。

「ねぇ、やっぱり私たちの時間だけ止まってるみたい。周りは動いているけど」
「ああ、でも僕たちのことはこの世界の人にも見えているんだよな。不思議だ」
「ここにやってくるのかな。本当に」
「そう信じるしかないよ、今は。あっ、こっちに近づいてくる奴がいる」

 二人は塀を背にして立っていた。目の前は通勤通学の人々が行き交っている。その流れに逆らうように近づいてくる男がトニーの目に止まった。二人は使者を待っていた。人の流れにぶつかることもなく、音も立てずに二人に近づいてきた男はすぐ側までやって来て二人に話しかけてきた。

「よく来たね。勇気がいっただろう。感謝するよ。あっ、もう手は繋がなくても大丈夫だよ、僕がついているから。じゃあ、これから僕の後を離れずについて来て。渡すものがある場所に連れて行ってあげるから」
「わかりました」

 椿がそう答えたが、トニーは一瞬で偽物だと疑った。トニーは椿と繋いだ左手に力を入れて合図した。椿はハッとしたかのようにトニーを見上げた。そして悟った。この使者は偽物なんだと。自分たちの世界で告げられたのは、自分たちにそっくりな二人が使者だと言われたのを思い出したのだ。それで二人は近づいて来た男を後ろから押し倒すと一目散に高校に向かって走り出した。こっちの世界では左右が逆になっているだけで元の世界と同じだったのだ。必死で走りながら椿は思っていた。「この世界ってもしかして鏡の中の世界なのかな」と。

 近づいて来た男が追ってくる気配はなかった。登校する学生に混じって高校の校門までやって来た二人に息を切らして近づいてくる二人がいた。まるで椿とトニーそのものだった。違うのはトニーの右手と椿の左手が繋がれていることぐらいだ。

「ごめんごめん、校長と話をしていて迎えにいくのが遅くなってしまったよ。何もなかったかい」

 こっちの世界のトニーがバツが悪そうに話しかけて来た。横ではこっちの世界の椿が右手でごめんなさいという仕草をしていた。

「何とか大丈夫だったわ。知らない男が近づいてきてついてくるように言ってきたんだけど、トニーが使者のことを思い出してくれてその男を振り切ってここまできたのよ」
「ああ、そうだったんだ。多分、隣の高校の生徒だろうな。いるんだよ、こっちの世界にも反乱分子が。何とか時間軸を歪めて君たちの世界に脱出したいと思っている奴らさ。こっちの世界でも悪いことばかりしている奴らなんだ。それよりも急がないと戻るための扉が閉じてしまうかもしれない。さぁ、校長室へ急ごう」

 こうして、全く瓜二つのカップルが一緒に校長室へと駆け込んだ。校長はやっときたかという顔をして急いで部屋の中に四人を招き入れた。

「よく来てくれた。私たちの若い時の過ちを君たちが修正してくれるんだ」
「一体どういうことですか。私たちは私たちの世界の校長から頼まれて、こっちの世界に持ち込んだあるものを持ち帰ってきて欲しい。そうしないと時間の歪みが止められなくなると聞いてきたんですけど」
「ああ、そうなんだ。私たちも知らなかったんだが、君たちの世界のモノがこっちの世界に存在し続けるとその場所から少しずつ時間の歪みを作り出してしまうことが分かったんだよ。十年前、偶然にも君たちの世界の校長、そう、私と瓜二つの校長が奥さんと共にやってきて、私たちは意気投合したんだよ。その時に友好の印だということで彼はこの腕時計を置いて行ったんだ。それがそもそも間違いだったということが最近わかってきたんだ。校長室の時間が歪み始めてね。おそらく、君たちの世界の校長室でも同じことが起きているはずなんだ。本来あるべきものがないということで。それで、持ち帰る仕事を君たちに託したわけだよ。私としても申し訳なく思ってるが、互いを信頼することができるカップルでない限り、こっちの世界と君たちの世界を往復することが困難なんだ。そしてお互いの世界の扉が開くのが三月一日の朝だという事がわかり、卒業する君たちに白羽の矢がたった。そういう事なんだよ。さぁ、この時計を持って帰って君たちの校長に返してくれ」
「分かりました。確かに受け取りました。では、僕たちは急いで戻ります。これから卒業式もあるので」

 トニーと椿は、こっちの世界のトニーと椿に別れを告げ、来た道を急いで戻り元の世界に戻れる入り口のところまで引き返してきた。幾分小さくなった空間の入り口に来た時と同じように二人で飛び込んだ。目の前がグルグル回るのを抱き合ったまま我慢し、身を任せた。しばらくしてトニーと椿は元の世界に戻ってきた。喜びと安心で泣きそうになった椿はたまらずにトニーに飛びつきキスをした。トニーは一瞬びっくりしたがすぐに両手を椿の背中に回し、力強く抱きしめた。

 周りから大拍手が起きている。抱き合った二人は、行く時に誰一人いない道だったから戻ってきても誰もいないはずだと安心していたのだが、不思議な空間がなくなった瞬間に通勤通学で大勢の人が行き交う道に変わっていたのだ。強烈に抱き合っている高校生の二人を見た通行人は思わず拍手をし羨ましそうに見ていたのだった。現実に気づいた二人は、頬を真っ赤にして手を繋いだまま、高校まで走って行った。



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松浦 照葉 (てりは)
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