2024年を振り返って
印象に残ったこと、学び--------
・人間は思ったよりひねくれていて、優しくないということ
だからこそ少し話しただけで、もしくは何も言わなくても理解してくれるような人は大切であり互いに尊重することが出来るということ
・物凄く説明しないと理解してもらえない人は、私にとってはどれだけ話しても分かり合えない人と非常に近い存在であること
尚、この片鱗が見えた時サッと身を引くことは大切
・配信は甘えるものではなく提供だということ
・声の使用量により酒は大敵になる
・自分の社会経験はこれまで教わったものを、定型の人達よりも細かくパターン化して暗記しているということ
・人を扇動できるタイプの人と長期の仕事をする時は予めその人がどんな性質なのかなるべく理解しておいた方が良いということ
・私に良くない感情を抱いている人達の中には私が間違えた道に進もうとすると面白がる傾向を持つ人もいる
・本気で向き合い続けた人と離れる時は後悔が生まれない
・レッスン業と音楽活動を一から並行して全力で作っていくには喉の使用量や脳の使い分けに限界がある
・要らないと思った人生の続きにも、生きていて良かったと思うことは大小問わず訪れるということ
・志があれば何度でも立ち上がれるということ
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今までしんどい年がいくつかあったけど、今年のことは忘れないと思う。
メジャーデビューの失敗、チームの裏切り、離婚問題、発達障害、家族との縁切り、声帯結節、唯一暴力を振るわず育ててくれた同居していた祖母の死。自殺未遂。
1年が終わる頃にここまで回復できたことに、周りの人達に本当に感謝です。
そんな人達に限って「勝手に見守ってるから」とか言ってくださる。
音楽活動は、売れたら何もかも正解。
売れてなかったら全部言い訳。個性を出さないといけないのにその個性を
「だから売れない」に結び付けられる。
業種に関わらずそういう1面は世の中にあって、私は割と今まで何でも話を聴きすぎる傾向にあった。しかし
「あまりにもしんどくて死にかけたこと」この件に関してだけはさすがに他人の見解はどうでも良くなった。
災害でしかなかった。
私は以前から自死を選ぶ人に全く同情しないタイプだったのだけど理由は
「その人が選んだ選択肢」
であり他者が口を挟んだり憶測を言うのは愚の骨頂だと思っていた。
今回の件で自分はそれを、元々薄っぺらくしか理解していなかったのだと気付いた。
……自死を選ぶ人の決意は、本当に「そう」なんだと思い知らされた。
そして自分のものとは言え心を深く傷つけた代償は、そんなに早く回復できないということにも繋がると気付いた。
そんな中昔よく泣いていた母が脳裏によぎった。
今でも許せないことが多いけど
私は母を少し愛している。
なぜか今回そのことに気が付いた。
この因果関係がよくわからず
少し気味悪くなった。
けれど物理的にも心理的にも距離がある今が本当にベストな関係なんだという結論まで出た。
なぜここに結びつくのかわからないけれど
昔メディアで誰かが言っていた。
人間関係のもつれは親子関係に紐づくと。
この結びつき方がよくあるパターンなのか分からないけれど、この気付きは生きている人間らしい経験ができたかもしれないと思った。
こんな年齢になって今更遅すぎるかもしれないけど
相手と自分のために
人間を少し警戒し、時々「必要が無い」と判断することにした。
人間が1番好きで、1番嫌いだから。
本当は人間が大好きで一緒に笑ってくれたらうれしい。人の笑顔が好きだ。
感動を分かち合ったり
一緒に物事を乗り越えることが楽しくて仕方がない。
けれどどうしてそんなことするんだろうと 憤りを感じるのもいつも人間。
人間の矛盾はおもしろい、と笑い飛ばせるような人に早くなりたい。
30代なんか全然舐められる。
なんなら40代もすっ飛ばして早く歳を重ねたい。
また気付けば図々しく生きていくつもりでこんな風に考えている。