つみのかじつは夢をみせる【編集版⑰】

 今日は卒業式の袴に合わせてつけたいと制作をお願いしていたイヤリングの完成品の写真が届いた。実物は金曜日に届くらしい。最高に可愛いので今から楽しみである。

 今日はアルバム「三毒史」から「TOKYO」。アルバムのど真ん中に位置する楽曲である。

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現実が辛辣で苦しいと思う日に~「TOKYO」~

 2018年、椎名は40歳、不惑を迎えた。この次の年、デビュー20周年を迎えた彼女は、デビュー日に1枚のオリジナルアルバムを発表した。テーマは三毒、【貪欲】【瞋恚】【愚痴】という仏教において人間が克服すべきとされている3つの煩悩である。このテーマでアルバムを制作したことについて、椎名はNHKの音楽番組「SONGS」の中で、「我々が持っていてどうしようもない、取扱注意な持ち物を描く。捨てたくなったり誇示してしまったり持て余したりする模様を描くのが自分の役割。煩悩をテーマに書きましたって20歳の時にいってたら生意気だって思われてたんじゃないかな。40歳になれば許していただけるんじゃないか。」と語っている。人間の煩悩をテーマにしていること、椎名自身が不惑を迎えたことで、人生の酸いや甘いを音楽にうまく昇華しているのだ。煩悩は大晦日の除夜の鐘でなくなるわけがない。なくなったら嬉しいけれど。現実はそんなに甘くはない。辛辣なのである。椎名がそんな「辛辣な現実を炙り出した」と語るのが「TOKYO」という楽曲である。
 聴いていて、こんなに胸が苦しくなった曲に出会うのは初めてだった。しかも1番、2番と曲が進んで行くうちにだんだんその苦しさが増していく。
〈同じ夢で目覚めた。なぜ今また昔の男など現れる。〉〈夢は十中八九晴れ模様清々しく。精々願望を映し出しているようで、莫迦に幸せそうに燥いでいたっけ。〉〈ああ重いわ。持て余した自我。急いで夢の途中に戻して。起きていたくない。〉と歌う一番は夢から醒めるその瞬間を、〈現の世界は荒れ模様忌々しく。傘も携え用意周到だった。だのに濡れている自分。不幸なんだって。〉〈まあ酷いよ。踏み外した過去。行けども帰れども責められて失せてしまいたい。そう当座凌ぎに必死の人生。悲しくてもう耐えられない。ねえ、せめて愛されてみたかった。〉と歌う二番は夢から醒めるとそこには辛い現実が広がっていて絶望する様が描かれている。
 夢から醒めたら人間は孤独である、と思う。多分誰かと過ごそうと、どこか楽しいところに居ようと1人ではなくても独りなのだ。孤独は、とても苦しくて辛いものだ。どうしようも無いのである。このどうしようもなく自分の心の底で荒れ狂う気持ちをどうにかやり過ごすことだけを考える。それだけで精一杯なのだ。だから眠って、その夢が永遠に醒めなければいいのに、許されるなら晴れ模様の夢の中にいたいと思う。起きていたくないのだ。そうしたら現実世界の苦しさや孤独から逃れることが出来て、精神が完全にどん底に沈んでしまうことをなんとか避けようとする。それが人間なのだ。
 この曲の最後、<どんな最期を迎えて死ぬんだろう。変わらず誰にも甘えずずっとひとりなら長いわ。高が知れた未来。短く切上げて消え去りたい。飲み込んで東京。>と椎名は歌う。もうどうしようもない。夢の中にすらいさせてくれない。それが現実。しかし現実に居ればいるほど孤独に苦しみ、足元すらおぼつかなくなる。その感情を持った者が最終的に思うことは「消えたい」である。このまま誰にも愛してもらえず、甘えることすらないならその最期は高が知れている。それならもうこの人生を短く切上げてしまいたい。そして雑踏の中にいると、個性が失われて身体はそこにあるのに、中身が無くなって消えてしまった感じがするときがある。そのことは周りを楽し気に歩いている人にはわからないし、もしかしたら自分のことなんか見えていないのかもしれないとさえ思う。<飲み込んで>とはそんな感覚を表しているのだと思う。
 人の人生は甘美なことばかりではない。むしろ辛辣な事の方が多い。この「TOKYO」という曲はそれを丁寧に描いている。大学生になってから「ああ、私今ここに要らないなあ」なんて思うことが増えて、きっとこれから先こういうことも増えるんだろうなあ。なんて思う。もしそうなってもこの曲が気持ちを代弁してくれるから大丈夫だ。そう考えたら少しだけ強くなれた気がした。

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 毎日一生懸命生きているのに報われない。そんな中いろいろな事を我慢して時々笑顔を貼りつけて日々を生活している人たちに聴いてもらいたい楽曲だなと思う。

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おじゃまたくし
知識をつけたり心を豊かにするために使います。家族に美味しいもの買って帰省するためにも使います。