多様性ってなんだろうって思った話~星野源「Family Song」「Ain’t Nobody Know」~
おじゃまたくしです。9月4日にある「星野源のANNリスナー大感謝パーティー」のグッズが届いて土曜日が物凄く楽しみになっています。今机の上でAD野上くんが自立しています。
先日、Twitter上でたまたま見かけたものがある。AI氏と三浦大知氏のコラボ楽曲「IN THE MIDDLE」リリースに関するお二人のコメントに対してある音楽プロデューサーとミュージシャン、それからそのプロデューサーのツイートが結構拡散されていてそれをみた殆どの人たちが「多様性のある社会であるべきなのにこの“真ん中”という表現はよくない」みたいなツイートをしていた。私はそれをみてびっくりしたのだ。「このツイートをしている人たちはまだリリース前の曲をもう聴いたのかな。聴いたうえでこれを呟いているのかな」と。それでいて拡散されたツイートの主である音楽プロデューサーも、それに共感してそこそこ影響力があるであろうミュージシャンもコメントについてツイートしているのに曲についての感想は一向にツイートしないので、言い方は悪いけれどこれはただの放火犯じゃないか。と。幸い、彼らのファンが、それに突っかかったりするような人たちじゃなかったりとあるDJが鶴の一声的言葉をツイートしてくれたからかボヤ程度で済んだ気がするけれど(実際はいろんなところに延焼していたかもしれない)、表現ということ、またそれを支える仕事をしているうえでどんなに小さくても自分で火消ししないのは余りにも無責任すぎるのではないか、と思うのだ。
「多様性」って自分が「そうじゃない」って思ったり、影響力のある人たちが「これじゃなくね」って言ったことを徹底的に否定したりすることなのだろうか。私は件のコメントを読んで「この“真ん中”はきっと二人にとっての“それぞれの真ん中”なんだろうな」と感じた。それは彼らが今までリリースした楽曲とか、テレビで観たパフォーマンスを考えたらそう思えたのだ。そして「それぞれに個々の基準での右や左があって、個々の基準で真ん中がある」と思える主な理由がこの2つの曲のMVにある。紅白歌合戦でピンクの衣裳を身に纏ってパフォーマンスする彼の曲はいつだって、それが例えばラブソングでも「誰も置いてけぼりにしない」と思うし、この2つの曲のMVはそれが視覚的なものとして表れている気がするのだ。
あえてどの歌詞が、とかではないが。
多様性ってそもそも色々な人のことをお互い認め合ってより良い方向に持っていくことじゃないのか。そしてそれにそれぞれの思想やそれぞれの哲学とかそういうのも含まれるんじゃないだろうか。「“真ん中”という表現は違う」「この表現について考えなければ」とか、その言葉にあくまで私は、だが違和感を感じる。それが否定的な意味合いの中で使われているのならなおさら。それが多様性なら、自称性格も口も悪い私はそんなもの要らないとさえ思ってしまう。
「IN THE MIDDLE」は、2人の色や意志とか芯の強さみたいのが表れている気がしてすごく素敵な曲だと思った。MVも世界観が出ていて最高に好き。
知識をつけたり心を豊かにするために使います。家族に美味しいもの買って帰省するためにも使います。