つみのかじつは夢をみせる【編集版⑮】
引っ越しまであと一週間。大体片付いているので今日は一日布団でダラダラしていた。こんな休日も良いものだ。
15日目の今日は「ありあまる富」。ライブ本編終わり、アンコール前に聴きたい楽曲。なのでこの位置。つまり明日から長い長いアンコールに入る、らしい。
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価値が従うは生命である~「ありあまる富」~
毎年6月くらいのよく晴れた日に、スマートフォンで空の写真を撮影するのがここ数年の楽しみになっている。写真を撮影するといっても、画角を調整して、とかここにピントを合わせて、とかは一切しない。スマートフォンの画素数だってそこそこだ。バイト終わりの昼過ぎ、太陽が真上よりも西側にほんの少し移動したくらいの時間が良い。拘るのはそこだけ。その写真を「何時もの夏がすぐそこにある証」という言葉とともにインスタグラムやツイッターにアップするのだ。北海道には梅雨がないから「梅雨が明けたら夏」みたいな誰もがはっきりわかるような季節の変わり目がないような気がして、個人的に季節の変わり目を感じるためにそうしている。写真に添える言葉は「ありあまる富」の大サビの歌詞から引用したものだ。
椎名林檎四枚目のオリジナルアルバム『日出処』に収録されている最後の一曲がこの「ありあまる富」である。
MVがとても印象的なこの一曲。投げられているのは〈お金で買った〉ものである。つまり〈買える富〉。では〈買えない富〉とは何だろうか。
世の中の人々は大半が善人だろう。しかし善人の皮をかぶったそうじゃない人たちもいるのである。そういう人たちは平気な顔してお金や物だけではなく心やひどいときには生命をも奪ってしまう。そうして起こる凄惨な事件は世の善人の心を痛め、活気を奪い、時に悲しい涙までも流させる。一方で自らその人生を終わらせてしまう人もたくさんいる。このコロナ禍になってそういうニュースを見ることも以前より増えた。本来そんなことがあってはいけない。
〈買えない富〉とはあくまでこの曲においてだが、〈生命〉のことを指す。〈生命〉の価値を値段でつけることはできない。目で見ることもできない。「もしも彼らが君の何かを盗んだとして それはくだらないものだよ 返して貰うまでもない筈 何故なら価値は生命に従って付いている ほらね君には富が溢れている」と彼女が歌っているように、〈買える富〉は〈生命〉に比べたら大したものじゃないのである。
この曲について椎名は「死んだらおしまいよと言っているようなものだ」と音楽ナタリーのインタビューの中で答えている。曲のリリース日と先日椎名がテレビ東京制作の「ワールドビジネスサテライト」にインタビュー出演の際に話していたことをすり合わせると、この曲は椎名の身体に新しい生命が宿っていたころか、その生命が無事にこの世に産まれたころに完成した曲なのではないか、と思う。だとしたらこれはこれからこの世界で目いっぱい生きていくまだ自分では何もできない子に向けて曲なのではないか、と私は考えているし、そうだとしたら、この曲について彼女が音楽ナタリーのインタビューで「死んだらおしまいよと言っているようなものだ」と答えていたこの言葉も、子の健やかな成長を願う母の言葉に聞こえる。そう考えていたら好きが増してきた。如何してくれるんだこの気持ち。私は音楽家として「自作自演屋」を名乗っている彼女も大好きなのだが、ファンクラブ内のブログやこういうインタビューとかそういうちょっとしたところで垣間見える、【椎名林檎の皮を脱いだ】一母親としての彼女のことも大好きなのである。
かつて聖徳太子は日本を〈日出処〉と称し、それを冠したこのアルバムは、日本という国で生きる女の様を様々なメロディーと言葉で描く。そのアルバムの一番最後の1曲がこの「君には富が溢れている」「死んだらおしまいだ」と歌う、「ありあまる富」なのである。
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ウクライナとロシアが戦争を始めたと知った時、この楽曲が頭の中に流れてきた。買えない富をこれ以上奪わないでほしい、買える富のために争いあうのはもうやめてほしいと願うばかりである。