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Nコン課題曲「手をのばす」の思い出話や解説Ⅱ
私が前回、題名にもあるようにNコンの課題曲「手をのばす」の出会い———俵万智さんの興味深い詩、そこから感じ取れるぬくもりだったりやさしさだったり…様々自分自身の解釈ではありますが紹介させていただきました。そうしてこれが歌という一つの作品となるとき、一体この素晴らしい詩がどのような旋律、どのような和声、リズム感で展開していくのか。私なりに楽譜の内容を深く読み取って、音楽的な観点からまたお話していきたい、、、そんな今回の記事にしたいと思います。
と、その前になんですが、この曲を伴奏と声部とで合奏演奏させていただいた動画にコメントが来てまして、私がかねてから音楽演奏の類の動画サイトでつながりを得た、もうつながって長い方になるのですが、その方からいただいたコメントの内容をぜひこの記事にて紹介させていただきたく思い了承を得たので、少し綴らせてください。
●プロローグ~各々の詩の捉え方の発見~
音楽仲間からの届いたコメントは、
こんにちは。
合唱曲はあまり知らず、この曲も初めて聴きましたがさすが俵万智さん!
短い詩の中に人生の四季を表現されてますよね。深い、、、。
最近、近しい人との別れがあったので、特に冬の「最後に手をのばす。手を握ってくれたよ」
の詩はグッときました。別れはありましたが、その人との出会いと人生は
私の中につながり引き継がれ、そういう風に沢山のつながりがあって
自分がつくられていくんだな、と改めて色々考えました。
とあったのですが、おお!!自分以外の人にはそういったエピソードがあって、こういう風な捉え方だったのか...と感じまして、再度この文を頭にいれて詩を味わいながら歌を聴いていると、なにかこう、違った色彩感というか、新鮮というか。兎にも角にもこのときばかりは嗚呼...と感じながらも感動的な意味で鳥肌が長い時間たっていましたね笑。
そしてもっと大事な訴えがその文にありました。「別れはあれども、人との出会いや別れというのは循環していて自身の中に引き継がれて、そういう風に様々つながりがあり"自分"が作られていく」———もう、そうそう、そうだよね!!と声をあげたくなるほど賛同してしまうメッセージ。私もこのコメントに返信させてもらったんですけど、別れが来る時って悲しみはつきものだけれども、こういったサイクルがより"人生"というものに彩りが増していって———悲しみによって「自分」というものが退化せずに、寧ろ、これからの出会いによる新鮮な気持ちが誕生していくものなんですよね...と演奏の話も交えながらお話合いしましたね。まさに「つながる」のテーマに合う意見交換ランド!!大変有意義。(ほんとうにありがたいんです...) あ、余談ですが、この方の演奏なさる音楽が自分好みで、なんていうのかな、一つの作品のイメージ(奏法的なもの)が自分だったらこうするな~というのがほぼほぼ一致しているのですよね...。これはぜひつながりを持ちたい...!!と今でも某SNSでメッセージを送りあっている仲です。是非演奏をご覧いただける機会があるのであれば、のぞいてみてください。
●一つの音楽作品へと展開していく、その中身について
本題部分になりますが、いざ紹介しようとなると、はてどう書けばと最初戸惑うんですが笑、楽譜抜粋画像も交えて綴ろうと思います。ぜひ合唱音源も聴きながら。。。
https://www.youtube.com/watch?v=s9XXnPktKmw
※冒頭部分 上段:声部Ⅰ(ソプラノ)、下段:声部Ⅱ(アルト)
まず私が目に留まった箇所はここなんです。(拍子は6/8)
何故かというと、冒頭はハミング奏のあとに初めて歌詞で「いのちが~」と歌うのですが、この部分! 声部Ⅰ、Ⅱが歌詞の歌いだしが掛け合いになってるんですね。
同声〇部合唱、みなさんが小学校の音楽の授業でよく扱った歌たちはほぼこの形式は、ほとんど初めの歌詞の部分ってユニゾン(※複数のパートが同じ旋律を歌うこと)の作品が多い。だから、おお!最初の歌詞からそれぞれが掛け合いしてるって珍しい始まり方だな~とまじまじと楽譜を眺めてしまっていたのです。あと、この始まり方のほうが、気持ち的にだんだんと湧き上がっていく様子が感じ取れるなと思いましたね~。「手をのばす」...、徐々に気持ちが高まると比例していくように手をのばしていっている。。。そんなイメージでしょうか。
つづいて、「いのちが手をのばす」と歌った後に主旋律が声部Ⅰの人達に委ねられ、対して声部Ⅱの人は「ラララ」...と、ん?いや、よく楽譜を見ていただきたいのですが、「ルラルラ...ルラルラ」となんとまああまり耳にしたことがない歌い方ですよね~...! るらるら!?珍しすぎない??初見のときさすがにびっくりしました。
ただやはりよく考えてみれば、意外性を創り出すために用いた手法なのかどうか作曲された新実先生によく話を伺ってみないとわからない要素なのですが、ラララ唱だとどこか物足りない...(というかうるさすぎる?)ような気がして、折角声部Ⅰの人たちが「さあ!これからいのち誕生!("あかちゃん"や"プーさんの鼻"といった名詞をも訴えかけたいし...)」て感じの元気溌剌で最初に伝えるのに適した詩を歌っているのに「ラララ」で埋め尽くすと伝わりづらい、、、て感じがしなくもないとは思いませんか??そしてクレッシェンドしているし気持ちも高揚しているからなおさらかも...と私は感じたので「ルラルラ唱」にしたんだと考えています。こう一つの要素を深く考えると改めてもう一度音楽を聴いたときに違った聞こえ方になりますよね~。これぞ醍醐味なんじゃないだろうか...。
そして転調部分をすっ飛ばしましたが、(すごい美しいんですよ!ホ長調への転調!!!)歌詞と音楽がすっごいよくマッチしている箇所。「つながるつながるつながるなかで」。二つの声部が互いに「つながる」を掛け合いで歌い上げているところ...さらに違和感もなく原調へいつのまにか転調していく。そしてそのあとに「私は私を見つけ出す」と断言している様子が感じ取れる、力強くフォルテの歌声を最後に、1コーラスが締めくくられます。
まだまだ書き足りないものがあるのですが、永遠に終わらなくなりそうなのでここでストップかけたいと思います。だいぶ前の過去の作品を扱っているので私よりここやここもこんな意味で素晴らしいよ!!と言ってくださる方がいればすごいマニアックな語り合いができると考えていますが、(現れることを願って笑)この作品に限らずとも、どの曲においても歌詞だったり旋律の動きだったり、そういうところに目を向けて掘り下げていくと思いにもよらない発見が必ずあると考えています。そしてその発見がいざ自分が演奏するとなったとき、音楽の色彩感というものがより明白になるヘルプアイテムとなってくれるはずです。演奏しなくても鑑賞するときも同じですよね。
これから気になった作品に出合った時は、またこうやって紹介しようかな~と考えていますが、うるさすぎないように頑張ります笑
ちなみに新規フォロワーさんがいらっしゃるみたいなので、次は今更ながら自己紹介(ほんとうに今更すぎる)の記事にしたいと考えています。ここまで読んでくださり、ありがとうございました!!!!