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僕とMOTHER2 その11 MFC編

時は2000年初頭、高校受験を無事に終えた僕は、当然のようにネットをしていた。
この頃にはNESSのホームページは改名され、「ONETT」となっていた。

ONETT、それはいわずもなが、MOTHER2に登場する地名である。
ONETTにはONEが隠されていて、始めの町を表している。
ホームページとしては任天堂系のウェブサイトとしてONETT、ONETTのコンテンツの一部にMFCやスマブラがあった。
これがきっかけで、今でも何かにつけてONETTを使っている。まるでライフワークネームのように。

htmlにも慣れてきて、マイクラでいうところの豆腐ハウスみたいな、良く言えばシンプルな構成だったが、入り口indexを置いたり、JAVAを組み込んでみたり、BGMを流したりと色々やるようになっていた。

自分のホームページを成長させよう、という気概は無かったが、何かをしなければならないなーとは常々思っていた。受験もあって冬のオフ会からは特にいじったりはしていなかった。
そんな中でもサンタクロース駅の掲示板は、色々なやり取りがされていた。

「グッズがあったらいいね」

こんな書き込みがされていた。
あれやこれやとへ返信が付き、どうせならなにか使える物がいいねと盛り上がっていた。そんな話に僕もまじり、ある品物が挙げられた。

それは「カレンダー」である。

MOTHERなカレンダーなんてものは当時存在しなかった。公式から出されるグッズというものはほとんどなく、あれよあれよとあったらいいねの声が挙がっていったのである。

ではどうやって実現しようか、掲示板で有志たちと話し合い、色々な意見がでた。それらをまとめ、コンセプトと現実的な方法を決めた。

まず、無償であること。他人の著作物であるので、利益がでるような方法はよろしくない。やっていることは分かりやすく言えば同人的なものである。当時は同人というものを一切知らなかった。ただ掲示板の利用者の中には、同人活動をしている方が何人かいた。普通は利益が出ないにしてもかかった費用分を回収する必要があるわけだが、その辺はお小遣いの範囲で済むように考えた。
次に、年度版とすること。普通カレンダーといえば、1月始まりであるが、マザーカレンダーは4月始まりである。これは企画段階が1月ということ、3月発送が理想的だということからである。
そして、参加者は1か月分を作成して30枚用意するということ。様式も何も決めず、参加者の采配で全部決めていいということになった。30枚用意する方法も個人それぞれ、さすがに居なかったが30枚別のイラストでもOKであった。印刷してもいいし、コピーでもいいし、手書きでもPCでもなんでもよかった。
最後に、参加者は掲示板で募るということであった。先の条件を理解したうえで、参加を掲示板もしくはメールで表明してもらった。
こうしてマザーカレンダーは、2000年から2010年までの約10年間に渡り続くMFCの企画となるのであった。

サンタクロース駅の掲示板で、早速参加者を募った。

流石に初年度は全員埋まらず、僕が参加したり、常連さんのつてで絵を描いている人を誘ったりして、13人を集めた。13人目は表紙を担当する人である。
締め切りを2月末に決め、僕の家に郵送してもらうことになった。
それまでの間、もう少し細かいことを決めた。
30部のうち13部は参加者に送付し、残りの17部を一般へ配布することにした。
なので募集用の要綱とかメールフォームやひな形を作った。
送料も少額を送ってもらっても仕方が無いので、荷主負担で送ることにした。

2月末に原稿がすべてそろった。
仕様はバラバラで、日付の表示だって統一されていないけど、なにかこうとてもいいものができたという感覚は覚えている。届いた原稿を組み、30部用意した。そのうち13部を参加者用に梱包して発送した。

いよいよ一般配布を告知する時がきた。

MFCとONETTに告知、参加者でサイトを持っている人はそちらでも告知してくれたりした。見ず知らずのだれかに住所を送るなんて今じゃ考えられないようなことだが、当時はまだハードルが低かったように感じる。少し時間はかかったが6月末頃にはすべて配布し終わった。

今回のカレンダーでは得たものがあった。それは友人である。
先の記事でも登場したCROS君や姉さん①、①とつくからには②も居る。
少し後になるがお湯さんもカレンダー経由で友達になった。

MFCはこうして動き出していくのであった。


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