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「ヒトの役に立つのは良き!」だけど?《「働く」について考える:私の場合②》
前回「働くこと=傍をラクにすること」という意識で頑張ったら、なぜか疲れてきてしまった・・・(笑)
という記事を書きました。その続きです。
「きっと人の役に立つ!」と思いながら、いろんな仕事を引き受けてきたのに、なぜ疲れてヘトヘトになり、帰ってきて倒れこむようなことになるのか。
結論からいうと、自分自身を置き去りにしてしまったからではないか?というのが私の落としどころでした。
私が働くときの根っこにあるのが「三方よし」。
私にとっての「三方」とは、
・自分や自分の会社
・仕事の相手先(クライアント)
・協力してくれた方や会社
このみんなが「この仕事をやってよかった!」と思える仕事がいいなと、三方よしという言葉を知らなかった20代の頃から思ってました。
思い始めたきっかけは「皆で仲良く仕事しましょ♪」という優しい平和的な発想ではなく、自分の仕事の内容が「ぐぐぐ、どんだけ自分だけが頑張っても成り立たない」ということを実感したからかもしれません。
(そもそも仕事ってそういうもんかもしれない)
であれば、皆がこの仕事に関われてよかったと思ってもらいたい。
そんな考えからでした。
確かに誰かの役に立つことは三方よしと言えそう。
でも、私がやってきた「傍をラクにする」は、「二方よし」だけになっていて、自分を置き去りにしていることで疲労困パイに陥っているのではないか?
じゃあ、自分を置き去りにしないというのは?というと、
「人の役に立つ仕事をした自分」というのをしっかり認めること。
それは何も「俺が、俺が」的な考えじゃなくてー、
「あー、今回の仕事はちゃんと皆の役に立ったなぁ、よぉやったなぁ、がんばったよ!」と寝る前に思えるように、自分自身をも認める。
「え?何が違う?」「やってること、変わらなくない?」と思われる方もいるかもしれませんが(笑)
「仕事」という大きく、そして境界線があいまいで複雑な塊のなかに、しっかりと「自分」を存在させてあげる。
「自分が役に立っている」という自分自身の存在を認めることにより、また明日も役に立てるように頑張ろうとか、もうちょっとこうしたら良くなるかもなーとか、働く意欲につながると思うんだよね。
これが私の考える「三方よし」で「働くこと」の意味だったり、意義だったり。今はそう思ってます。
で、この「三方よし」にはちょっと続きがありまして(笑)
それは次の記事にて。