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ドイツ海難救助隊ゼーノートディーンストの物語〜その④最終回

 敵味方関係なく人命救助をしてる救助隊を攻撃してくる連合軍。この戦争がもし枢軸国側の勝利で終わっていたら、これらの行為は連合国の戦争犯罪として糾弾されていた可能性はあると思います。
 ただ、公平にとある事実も記しておきたいと思います。それはナチス・ドイツの恐るべき人体実験です。

◆ナチス・ドイツのおそるべき人体実験

 ナチス・ドイツはゼーノートディーンストの救助に関する報告を受けていました。それは航空機の搭乗員が凍るような水の中から引き上げられた場合、20〜90分で意識を失い死亡するという救助虚脱という症状でした。
 ナチス・ドイツ配下の医学関係者は、どうすればこの症状を改善できるのか。人はどういう状態で生命の危機に陥るのか。これを実際の事故から統計を取るのではなく、人体実験でデータを集めようとする人体実験が行われたのです。

 それは、ダッハウ強制収容所での囚人に対して行われました。囚人たちを遭難した時と同じ冷水状態に置き、その後、電熱寝袋でくるむ、ぬるま湯や熱い湯に浸す、数人の裸の女性と性交させるといった様々な方法で温めて分析し、データを集めたのです。
 この実験の過程で大よそ80から100名の囚人が死亡したと言われています。

画像は、「Ranker」より 
ナチスが人間に行った残虐な人体実験が紹介されているサイトです。閲覧注意

 人命を無視したこれらの人体実験が医学界に貢献した事実もあったのか・・・。
 その貴重なデータ資料と引き換えに連合国と裏取り引きがあったという黒い噂も出ています。

 いずれにせよ、現場の人間たちにとっては、敵味方関係なく、目の前の遭難者を迅速に救い出す。その勇気と果敢な行動力は称賛されるものであると思います。

◆最後にして最大の救助活動

 戦局がドイツの不利な状況になるに従い、ゼーノートディーンストの活動範囲も狭められてきました。救助も過酷なものになり、撃墜されることも激しくなってきます。ドイツ帝国の崩壊は間近に迫ってきました。
 しかし、最後にして最大の救助活動が彼らには待ち受けていました。

 それは、ドイツ敗戦の二ヶ月前の1945年3月のことです。ドイツ配下にあったポーランドの都市、コシャリン。ここへソ連軍が攻め寄せてくる情報が入りました。都市コルベルクで戦いが始まると、1機のゼーノートディーンスト所属機が孤児院からの救出活動を行います。向かったゼーノートディーンストの機体はドルニエDo24です。
 この救助は、今までの活動の中で最初にして最後の救助活動となりました。その人数は、小人99名と大人14名であったと言われています。
 しかし、あまりにも大人数で積載重量を超えたため、離水できず、海面上を跳躍、また滑走を行いつつ基地まで帰投するという離れ業を成し遂げます。さらに共に活動した6隻の船艇は3月17日と18日にコルベルクの埠頭へピストン輸送を行い、2,356名を避難させました。

ドルニエDo24

◆海難救助の精神は世界へ

 これらの出来事は、戦争の一コマではありますが、その救助活動は赤十字の名に恥じないものであったのではと思います。救助する人間がどんな人間であれ、目の前に助けを求める者がいれば命を賭けて救助にあたる。

 ナチス・ドイツの指揮下であったにせよ、現場の隊員たちはそのような決意で立ち向かったと思います。ドイツ敗戦と共に海難救助隊は解体されましたが、彼らのノウハウは戦後の各国の海難救助に活かされることになりました。

日本の救難チーム UH-60JとU-125A

 海洋国家でもある日本でも、帝国海軍のノウハウと合わせ、世界に誇る海難救助技術を誇るようになりました。
 補足として最後に現代の日本での海難救助の話をして終えたいと思います。ドイツ海難救助隊(ゼーノートディーンスト)たちの話はこれにて終了となります。全4回に渡り、ありがとうございました。

参考文献『『The Luftwaffe Use Notdienst: The First Air Rescue Units』』
ゼーノートディーンスト(Wikipedia) 他


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