“For Creators” を合言葉に、ONE MEDIAはチャプター2を開始する。
2005年の夏のことだった。恵比寿ガーデンプレイスの20階、ある会社の受付。似合わない七三分けに借りてきたようなネイビーのスーツ姿で面接の順番を待っている男がいる。僕だ。
結果として新卒で入社することになる、とあるIT企業の最終面接の直前。とにかく内定が欲しかった。映像業界ではない会社からの内定が。
あれだけ映像が好きだった僕が、いまはその映像から全速力で逃げ出している。この就職活動から解放されたい一心で、今日も爽やかな上智大学生を演じながら。
ひときわ暑く感じたあの夏、
僕はクリエイターとして生きていくことを諦めた。
これを読んでいる人はおそらくご存知なように、それから9年後の2014年に僕は動画の会社を立ち上げた。映像から動画へ。
時代の変化がもたらす革命を叫び続けたけれど、誰も耳を貸してもくれなかった。何度も倒産しかかった。その度に助けてくれた人たちがいた。
その人たちの気持ちに報いるために、身体から火を噴くほどの勢いで働き続けた。2016年の年末最終営業日、チームのみんなと恵比寿のちょろりでラーメンをすすりながら自然と涙がこみ上げてきた。
足掻いて走って何もかもを出し切って、生き残ったことを実感できる味がした。
人生を振り返ったときに、必ず思い出す一杯になるだろうな。
缶に入ったレモンチューハイを飲みながら共に地獄を戦い抜いた仲間たちとそんな話をしたのを今でも覚えている。
翌年の夏頃から社内で「社名を変えたいね」という話が頻繁に出るようになる。スタートアップが2度目の社名変更をするっていうのは正直イカれてる。今考えても論理的な思考回路を持っているとは思えないやり方だが、その時は僕らが目指している景色にふさわしい名前にすることが何よりも重要なことに思えたんだ。
そうやって2017年の11月、僕らの会社はONE MEDIAという名前に変わった。
1本の動画が、世界を変える。そんな可能性を信じて。
ONEは2018年の1月、業界ではシリーズAといわれる段階の資金調達を発表、そのタイミングで僕は自分の名前をカタカナに変えた。
動画業界の教祖こと、明石ガクトの誕生だ。
この戦いの一部始終について、本として出版するチャンスが巡ってきた。
幻冬舎の不良編集者が僕に問いかける。
「明石さんは本を誰に読んでほしい?どんなヤツのために書くの?」
「なんにもない田舎の本屋でたまたまこの本に出会って、それで何年かして有名クリエイターになったソイツがボロボロになった僕の本持って会いに来るのとか、最高ですけどね」
「いいね、それ最高」
こんな会話からコツコツ地道に作り上げた『動画2.0』は、若者を中心に結構売れることになる。この本を出して一番意外だったことは、テレビ業界で働いている人たちが本当に真剣に読んでくれていることだった。
制作サイドからアナウンサーまで、誰もが映像と動画のこれからについてを本気で考えている。それまで僕は、映像というものを仮想敵にして、動画の旗を掲げる革命家みたいなつもりで生きていた。
「誰にも敵などいないんだ」
大好きな漫画『ヴィンランド・サガ』の言葉が僕の中で反芻される。
テレビ局も映像制作会社も、そこで働く人たちも、誰一人として敵ではないんだ。
ひょっとしたら僕は、あの日みずから見限った映像の道に、どうしようもない後悔とコンプレックスを感じていただけなのかもしれない。
その苛立ちを鎮めるために「動画」という新しい言葉を武器にして「映像」を殴っていただけなのかもしれない。
ONEは電波で放送される「映像」に対して、インターネットで配信される「動画」の新しさや編集技法の違いについて発信し続けてきた。
これからはONEが「映像」のために何ができるのかを考えるべきでは?という視点に気付かされた。本を出版して得た一番大事な気づきが、それだったと僕は思う。
ONEは創業期から分散型動画メディアというコンセプトを掲げて、挑戦を続けてきた。ONEという主語で、FacebookやTwitterやInstagram等のSNSに配信していくやり方だ。その時、SNSで盛り上がりやすいトピックを選んで行ったことが僕らの在り方に誤解を生むことになる。
「ONEは大手のメディアがあまりやってくれないイシューを扱ってくれる存在だ」「ニュースメディアとして独自のポジションをとっている」
これはONEが目指していた姿ではない。
僕らは創業期からずっと動画のもたらす新しいメディア構造を追求してきた会社だったはずなのに、いつしかその構造から生み出されるメッセージが主軸の会社に見えてしまっていた。
インターネットのメディアは今や、@と#で成り立っている。
誰もが自分の好きな@と、興味のある#を追いかけてコンテンツを楽しむ時代だ。ONEはこの@と#の軸の中で、ミレニアル世代のなかでも特にSNS発信力が高い層にウケる#を選び、コンテンツをつくってきた。
そういった#は多くの場合コントラバーシャルなテーマになりがちで、そうなるとSNSで伸びる際の原動力は「議論」になる。
しかしサイレントマジョリティーという言葉があるように、同じミレニアル世代でも発信しない人もいるし、議論が好きではない人もいるだろう。
ONEのチームが生み出す動画表現を、一部の#だけに閉じ込めてしまっていいのだろうか?
人それぞれ好きなYouTuberとか思い出の映画がある世界で、このやり方を続けていくことは正しいのだろうか?
インターネットとSNSは視聴者ひとりひとりの興味を細分化し続けている。
そんな中、ONEを主語に発信するコンテンツに拘っていても時代が求める動画のジャンルと量に応えることは難しいだろう。
改めて、ONEが果たすべき役割についてチームで徹底的に話し合った。
「映像」と「動画」の垣根を超えて、僕らが何ができるのか?何をやるべきなのか?
そこで出てきたアイデアが「クリエイターネットワーク」だった。
映像の世界は、あまりに分断されすぎている。
テレビ、映画、広告。それぞれの業界が視聴率・観客動員数・広告賞と異なる目標に向かって一所懸命に働いている。
しかし、お互いの業界についての知識や価値観の共有は難しく、業界間の人材流動も無い。今まではこれで良かったのかもしれないが、デジタルスクリーンがすべてを飲み込むこの時代にそんなことは言ってられない。
SVODや動画共有サービスやSNSが個人のコンテンツ視聴のあり方を変化させ、テクノロジーがこれまでスクリーンが無かった場所をヴィジュアル化し続けている。
映像クリエイターも動画クリエイターも、デジタルスクリーンという新しいメディア(プレイス)に対応することが求められるニーズは増え続ける一方、クリエイター側を支える仕組みやナレッジを分かち合う場所は無く、その変化に個人で対応することはますます難しくなっている。
誰かがクリエイターが新しい時代にチャレンジするための、プラットフォームをつくらなければいけない。
そこでは進行管理・キャスティング・流通先確保といったクリエイターが創作に集中するのに必要なあらゆるサポートが求められるはずだ。
もし、そんな会社を作れたら?いや、作るしか無い。
そう決意しながら、僕はある若者のことを思い出していた。
『動画2.0』出版以降、動画クリエイターを目指す様々な人とイベントや講演会で交流する機会が増えた。誰もが胸の奥に真っ赤に燃える情熱を抱えながらも、そのエネルギーをどこにどうぶつけたらいいかがわからず動けないでいた。
そうだ、これは僕だ。
クリエイターとして生きていく覚悟を持てず行動できなかった、あの日の若かった自分だ。
「この会社は、動画と若者のためにある」
僕らは若いクリエイターと視聴者の味方でありたい。
動画と若者のためにONEは存在している。
あの日、クリエイターとして生きていくことを諦めた僕が一番欲しかったものを、14年の時を超えて届けよう。
“For Creators”を合言葉に、ONEはチャプター2を開始する。
チャプター2、最初のキーワードはクリエイターとキャストのコラボレーションだ。誰もがカメラで撮影し自らのSNSで発信する時代、個人がメディアを超える影響力を持つようになった。いつしかインフルエンサーという新しい職業が誕生した。
ONEはこう考える。セルフィーでは映せない姿があると。
クリエイターだからこそ切り取れるヴィジュアルが存在することを僕は信じている。
コンテンツを持ったキャストと、編集目線をもったクリエイターの化学反応。そこで生まれる新しい新しい動画の可能性の追求。
個と個が掛け合わさり、エンパワメントされる。
1と1の掛け算を、1で終わらせないためにONEは存在している。
ONE BY ONE プロジェクト。
その中身は動画で確かめてほしい。
いまや、8K並みの解像度で映像と動画を取り巻く世界が見えてきた。
クリエイターをネットワークし企画・制作から配信・効果検証までをワンストップでプロデュースしていく未来は明るい。
今回、シリーズB実施にあたって素晴らしい株主の皆様に加わっていただいた。事業シナジーを最大限発揮するために、この半年間、時間をかけて対話を重ねてきた。
通信と放送はデジタルスクリーンというキーワードで融合していく。
5Gがその流れを加速していくことは明白だ。
そのために今、ONEで足りない部分を補完してもらえる構えを作る。
僕らが描く未来の可能性に応えてくださった、株主の皆様に。
そして、新しい動画産業をつくる毎日のハードワークを共にするチームのみんなに。
不可能を超える挑戦が成し遂げられるその時まで、僕は映像と動画の間で戦い続けることを誓います。
Filmmaking is a sport.
2019年7月16日 明石ガクト