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「(K)not」第十九話
ドアを開けると二十畳程の空間が広がる。入り口にウォーターサーバーと観葉植物が設置され、中央に大きなテーブルが置かれている。四方の壁は木製の本棚になっており日本語の本やアルファベット、中には見たことの無い文字で書かれた背表紙の新旧様々な図書が並んでおり、それが天井まで続いている。上方の本を出す時は奥に掛かっている梯を使うのだろう。左側の壁が手前に二つ、奥に一つアーチ状になっており、それぞれドアがあった。
突き当たりに一つだけ革張りのソファが見える。その上に大きなラグにくるまれた膨らみを見付けると、有馬はテイクアウトした二つのカップをそっとテーブルに置き、と拳と掌で一発気合いを入れ、ソファへ大股で近付いて行く。そして勢い良くラグを引き剥がすと、内包されていた物体は宙に浮いて横転し、そのまま床に落下した。よく見るとそれは人間で、愉快なアイマスク以外何も身に付けていなかった。
床に投げ出された男性は、それでもまだ寝息を立てている。
瞬は状況把握能力が限界に達し、盛大に吹き出すとそのまま後ろへ倒れ込んだ。瞬の笑い声にやっと覚醒目した全裸男は、アイマスクをしたままキョロキョロと真っ暗な周りを伺い、縁側の翁のごとく胡座をかくと再び動かなくなった。
二度寝に入ったらしい。
「駄目か・・・。」
有馬はおもむろにテーブルの上からキャラメルマキアートのカップを取り、彼の鼻先へ持っていった。甘い香りに覚醒した彼は鼻腔を膨らませ、左右に揺れるカップに合わせて顔を振り出す。そうしてやっと、視界が暗い理由を悟ったようで、アイマスクをヘアバンドのように額に引き上げた。
涼しげな切れ長の目に泣きぼくろ、真っ直ぐに通った鼻筋に薄い唇と、驚いたことにその形相は変態のソレでなく、至極真っ当なものだった。あくまでも首から上の話だが。
非常に残念なその男前が手を伸ばしてカップを奪おうとするので、すかさず有馬は手の届かない位置までカップを持ち上げる。キャラメルの誘惑に立ち上がった男前の男前を、有馬は未成年から死角になるようにトレイで隠しながら奥の部屋へ誘導するという熟練の技で魅せた。
いつのまにか瞬は観客になっていた。二人の社交ダンスの様に洗練されたターン&ステップに見惚れ、そして奥のアーチに消えた二人に拍手を送り、カーテンコールを願ったが、しばらくして戻ってきたのは有馬だけだった。
有馬は何事も無かったように、ソファに腰を下ろした。
「待たせたな。座れば?」
興奮冷めやらぬ瞬は、嬉しくなって有馬の隣へ飛び乗った。
「ねえねえ、あの人誰?何でマッパなの?」
「あの人は服を着ると死んじゃう病気なんだよ。」
世の中には眠ったまま起きない病の他にも、様々な奇病や難病があるということを瞬は知った。
アッハッハと二人が和やかに笑い合っていると、
「ちょっとUMA!!」
聞き覚えのあるキャラクターボイスがする方に振り返ると、そこに年齢不詳のゴスロリが漆黒のツインロールを振り払い、腰に手を当てて立っていた。
「ざいま〜ッス。」
有馬は立ち上がって後ろ手に腰を折り、ゴスロリに挨拶をした。
深いパープルのジェルカラーに、細いゴールドで蝶の装飾が施されたネイルで器用にテイクアウトしたカップを掴むと、有馬の顔の前に突き出した。
「溶けてるじゃにゃいよ!」
「サーセン。」
有馬が謝ると、マチヤチノは透明なドーム型の蓋に空いた穴に、デコったマイストローで勢い良くグルグルとフラペチーノを掻き回した。白と緑の層が混ざり合って、たちまちエメラルドグリーンに似た色の液体に変化してゆく。それを勢いよく吸い込んで、吸い込んで、吸い込んで・・・。
「プハッ!おはよっ、みどり君。遅かったじゃにゃい?みどり君もなんか飲む?」
まるでスムージーか何かのように抹茶クリームフラペチーノを飲み干したマチヤチノは、瞬に向き直って元気に挨拶した。
「まどかです。氷川瞬、瞬間の瞬って書いて、まどか。」
あっはっは、と声を上げて笑うとマチヤチノは漫画のようにペロリと舌を出して頭を掻いた。
「やあ、ごめんごめん。君も氷川なんだってね、UMAから聞いてるヨ。なんでも従兄弟だってゆうじゃにゃい?一緒に住んでるんだって?それでみどり君、やっぱり気になっちゃってるにょ?例の夢の探し物・・・」
捲し立てるマチヤチノにもう一度名前の訂正をすることは出来ず、瞬は甘んじて言葉を飲み込んだ。有馬に助けを求めようと振り返ると、従業員らしくさっさと朝の掃除を始めている。もう、いろんなことが起こり過ぎて瞬は叫んだ。
「おやおやUMA、君の従兄弟は情緒が不安定にょようだよ?よっぽど大変なことがあったんだにぇ、可哀想に。さァ何でも話してご覧、何でも聞くにょ?」
そう言って自分に向けて開かれた両手に、瞬はこれまでのことを話し始めた。無意識に沈めた自分の気持ちが、堰を切った様に溢れて来ることに困惑を隠せない瞬の横には、いつの間にか有馬が座っていて頷いたりしている。
「成程にぇ。」
マチヤチノは一息つくと、瞬にもお茶を勧めた。赤の他人に話すことで気が弛んだのか、目の前に出された湯呑みを一気に喉に流し込む。こんなに喉がカラカラになるくらい喋ってたのか、とちょっと我に返って恥ずかしくなった。
「兎に角、みどり君の家族が今ギクシャクしてるってのはこの際置いといて」
「置いとくんだ!」
一瞬で、恥ずかしくなった自分は過去のものになり、たちまち疲労感に襲われる。素直になった自分を返してほしい。その様子を見ていた有馬は、また何度も大きく頷いている。一体、何に対して同感しているのか。事と次第によっちゃあ怒りの矛先を変えなければならないかも知れない。
「だって、聖名が目覚めれば全て解決な訳でしょ。大人の兄弟喧嘩の仲裁より、聖名を如何に覚醒させるかにエネルギーを注いだ方がよっぽど建設的じゃあにゃい?」
「まあ、そうなんだけど・・・」
世知辛い。赤の他人から見れば「家庭の事情」なんてそんなもんかとため息をついた瞬に、何故かマチヤチノはモジモジと頬を赤らめて指を組み、潤んだ瞳でこう聞いてきた。
「それで・・・そろそろ同衾する?」
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