継続は力なり。
何かを継続できる人間はすごい。
大抵、時間や心の余裕の無さ等、言い訳をして続かないのがオチだ。
自分の日記を見てもわかる通り、明日やると決めたこともできないこともある。
そんな自分にうんざりすると同時に、悔しくもなる。
「どうして決めたことができないんだ。」
「こんな意思の弱い自分は嫌いだ。」 と。
しかし、今回の日記ではこのような自分を卑下するものを書きたいわけではない。
希望を語りたいのだ。
未来を笑って語れる人間に、私はなりたい。
話が長くならないために、簡潔に今後大切にしていこうと決意したことを語る。全部で2つ。感謝、成長、今日はこれに絞る。
まずは、感謝だ。
この1年間、私は自分に驕っていた。傲慢だったのだ。
自分にとって大切なのは、今まで築いてきた関係のみで、それ以外は自分にとってただ消化していればいいだけの虚無のものだと、どこか考えていたのだと思う。
”社会人は本音と建前を使い分けて、その場をうまく乗り越えなければいけない。”
これがずっと私の中にあったので、その場で一番求められていそうな行動をとってしまう。それが感情を抱くよりも先に動いてしまっていることを感じ始めているからこそ、危機感を感じているのだ。
今までの人間関係が心地よいからこそ、そこに慢心することがあっては行けない。自分のホームがあることを心の支えにして、新しいコミュニティでも感情を伴った人間関係を構築していく必要があると考える。
最近、会社で出会った同期が私の夢を応援してくれている。
自分の親しい人や、夢に関係した人を多く紹介してくれたり、励ましてくれるのだ。
それこそ私は彼に何もしてあげられていないのに、そのような”無償の愛”を注いでくれることに、最初は疑いもしてしたし、戸惑いもした。
「まだ出会って数ヶ月しか経っていないのに、なぜここまでしてくれるのだろう。」
「私は何を返せるだろう。」
でも、彼が心から応援してくれていることが最近少しずつわかってきて、それと同時に周りへの感謝を忘れてしまっていることに気がついた。
そう、誰かが何かをしてくれることは決して当たり前ではないのだ。
仕事に必要な知識を教えてくれる先輩や、社会人として成長させてくれる上司、物事を客観的に捉えて指示をくれる課長など。。。
そういう人たちを悪く捉えるのは容易い。がしかし、自分にとっていいと思える部分に対しては積極的に感謝していこうと思う。
こう感謝感謝言っていると、精神論ばかり語る自己啓発本のようで、少し背筋が凍りそうになるが、逆に感謝のできない人間に対してはそれ以上に虫唾が走る。
親や友人、恋人、同僚、上司、お客様。それらが自分に与えてくれるものにもう少し向き合うべきなのだ。
今まで、感謝を蔑ろにしてしまってごめんなさい。今までのことありがとう。
これは、自分へのけじめとして覚えておこうと思う。
さて、次は成長についてだ。以外と書き始めたら、言いたいことが出るものだな。
私は怠惰である。ペテルギウス・ロマネコンティと遜色ないのではなかろうか。(最近リゼロを見直して、再燃しております。3期楽しみ!)
少し頑張って、成長が見られたらそこで、歩みを止めてしまう。それまででできることだけで誤魔化そうとしてしまっているのが、私の悪い癖だ。
それこそ何でもパターン化してしまおうとするから、それから外れるだけであたふたするし、応用が効かない人間になってしまったのである。
そのツケが最近回ってきている。
作曲に関しても、友人はどんどん先へ行く。
仕事でも自分のコミュ力や知識の無さに打ちひしがれそうになる。
将棋もなかなか勝てないのは、復習が足らないからだよ少年!!
これは早急に変える必要があると考えるのは、決して早計ではないだろう。
成長を実感するのは楽しい。しかし、高みを目指すとなると終わりが見えず、自分が心地よい帯域でぬるま湯に浸かりたくなってしまう。
今成長を止めれば、いつでも甘い蜜を吸うことができるという誘惑と戦い続けるのは簡単ではない。
だからこそ、初志貫徹を忘れてはならない。自分が何を成し遂げたいのか、どう変わっていきたいのかを最初に決めたのであれば、それが成し遂げられるまでに止まることは許されない。
だからこそ夢は大きく持つことをここに誓う。
作曲は、時代に名を残せるような曲を作ろう。流行に敏感な若者がふと思い出してしまうようなそんな曲を。どこの誰かも知らないその人が、隣で電車に揺られているその人が聞いてくれるような、そんな曲が作りたい。
この言い方なら、ただバズりたいだけのように聞こえて嫌だな。でも、何者かになりたいのは本当。自分が感じたことを多くの人と共有したい。
将棋はまずは初段を目指そう。藤森先生の指手を盗む努力を怠らない。インプットだけでなくアウトプットできてこその学びだ。
最後に、仕事について。改めて、自分に言いたい。
「仕事を舐めるな。」
適当にやって、どうにかなる世界じゃないのはこの1年間で十分にわかっただろう。やりたくないからやらないが通じない世界だと実感しただろう。
できない理由を探すのではなく、できる理由を探せる人に私はなる。
きっと辛いことも今後多いと思う。自分を否定したくなる日も来るだろう。
先が見えないなら、一歩前だけを進み続けよう。君が辛いその時は、
僕が泣きたくなるその時は、きっと長い成長の過程で必死にもがいている本の一瞬に過ぎないのだから。
まずは、知識をはてなく求めること。そして、それを完結に話せるようになること。これが大事だ。
コミュニケーションについては、相手に興味を持たなければ行けない。そして、相手がワクワクするような、ことを話すために、喜ばせたいという気持ちを伝えなければいけないことを最近気がついた。
まだ、実践できていないことが現実なので、間違うことを恐れずにやってみようと思う。
毎度雑多な文章で申し訳ない。これを読んでいるのが僕自身かもしれないし、心優しい読者様かもしれないけれど、ここに感謝の意を示そう。
それではまた。