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朝鮮之使家宣公ニ拝謁之図(六代徳川家宣公)

芳年画。本作の画号は応需芳年となっている(他は大蘇芳年)、頼まれた作と明記したのは何らかの理由で本当は描きたくなかったのかもしれない。

徳川家宣が将軍に就任した祝賀のため、朝鮮通信使が日本に来訪した場面と思われる。新井白石は、それまで朝鮮国王の国書に記される江戸将軍への「日本国大君殿下」という下げた表現を、「日本国王」へと改めさせた。さらに、白石は朝鮮通信使への手厚いもてなしの慣習を後に廃止し、接待を簡略化した(出典)。明治期の征韓論の流れも意識されたのかもしれない。

正面摺

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