通俗三国志之内 関羽義心曹操釋図 歌川国芳
嘉永6年(1853年)。国芳の屈指の名作シリーズ・通俗三国志より、曹操が関羽の義を尊重する姿勢を示した、忠義と恩義の相克を描く三国志演義の名場面。本作は大変人気があり、入手が難しい。
建安5年、関羽は曹操の元に身を寄せている間、曹操から多くの恩賞や官位を与えられた。しかし、関羽の心は常に劉備にあり、曹操の厚意に感謝しつつも、忠義を劉備に捧げ続ける意思を隠さなかった。曹操は関羽が自らに降ることを期待していたが、関羽の決意を確認するため、張遼に関羽の本心を尋ねさせた。関羽は曹操への恩返しが済めば劉備の元へ帰ると答えた。
その後、関羽は顔良を討つという大功を挙げたにもかかわらず、曹操の厚い待遇に屈せずすべての贈り物に封をして返し、丁寧な手紙で別れを告げた。曹操は関羽の義心に感服し、これほどの義を持つ者を追ってはならないと部下を制止し、劉備の元へ向かう関羽を妨げなかったとされる(参考)。
江戸中期に訳された「通俗三国志」は、明代の羅貫中による「三国志演義」を底本とし、全50巻にまとめられた読本である。元禄年間に日本で初めて本格的に民衆向けに刊行され、庶民の間で広く読まれただけでなく、後の日本文学や演義小説の発展に大きな影響を与えた。