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吉野山忠信偽乗図 歌川豊宣

明治15年・歌川豊宣作。

本作は義経四天王の佐藤忠信を描いた。佐藤忠信はもともと奥州藤原氏に仕えていたが、義経の平家討伐で奮戦し、都を落ちる義経に同行したが宇治の辺りで義経と別れ、囮となって都に潜伏する。最後は26歳で自刃したと伝えられる。その忠臣ぶりは「平家物語」や「義経記」にも描かれ、歌舞伎や浄瑠璃の「義経千本桜」に語り継がれる。

本作品では佐藤忠信が義経一行を追う吉野の僧兵を静かに待っている。左図には吉野を発つ義経一行、中央画面では僧兵を迎え撃つ忠信が描かれ、義経記で義経を守るため命を捧げた場面が描かれる(参考)。

歌川豊宣は、28歳で亡くなった夭折の浮世絵師。短い生涯ながらも、武者絵を中心に多彩な作品で明治浮世絵に足跡を残した。姓は勝田、名は金太郎。二代歌川国久の長男であり、祖父にあたる三代歌川豊国と同じく、一陽斎香蝶楼といった号を用いた。作画期は明治17年(1884)から没年までの短期間ながら、役者絵、美人画、武者絵、新聞や雑誌の挿絵など幅広い作品を手掛け、明治17年には第二回絵画共進会に「源義仲八幡宮願書之図」を出品し、賞を受賞している。代表作には、大判錦絵2枚続の揃物「新撰太閤記」(網島亀吉版、明治16年)がある(出典)。

空摺


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