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当盛生人形 短冥次郎阮小吾 歌川国芳

水滸伝に登場する阮暁武と何濤の水中格闘が描かれている。何濤は阮暁武を逮捕するために政府から派遣されたが、戦闘では阮暁武が優勢で簡単に打ち負かされる。阮暁武の上半身に大きな虎の入れ墨が入り、水流に逆らって上向きに流れる(出典

生人形は、当時の都市文化や娯楽の一環として大きな影響を与えた。国芳や豊国といった浮世絵師たちがその様子を錦絵に描いた。見世物としての成功により、全国各地で類似の興行が行われ庶民の娯楽として定着していた。

松本喜三郎は代表的な生人形師であり、等身大の人物を精巧に再現し生きているかのようなリアルな造形が特徴だった。松本喜三郎は1825年に熊本で生まれ、仏師であった友人の安本善蔵とともに、熊本の地蔵祭で生人形の制作に取り組んだ。この作品が評判を呼び、大阪や江戸での興行につながった。特に1854年の大阪難波での「鎮西八郎嶋廻り」や、1855年の江戸浅草での「異国人物」などが大成功を収めた。生人形の題材は、中国の『水滸伝』や『忠臣蔵』などの歴史物語、異国の人物、遊女の姿など多岐にわたり、観客に異国情緒や当時の文化を提供した。興行では、豪華な見世物小屋が建てられ、口上師が観客を引きつける役割を果たした。浅草の浅草寺境内などの名所で展示され、庶民に広く親しまれた。風俗紊乱として幕府から禁止されることもあったが、江戸後期から明治にかけての見世物興行の一環として、生人形は日本の伝統文化や芸能史において重要な役割を果たした(出典)。

ボストン美術館や大英博物館の収蔵品と彫師などが異なっており、後刷りかもしれない。

国芳には本作モチーフの通俗水滸傳濠傑百八人一個 短冥次郎阮小五がある。

出典

芳年の傑作竪二枚続・浪裡白跳張順黒旋風李逵江中戦図はここからモチーフを取っていた。

出典

彫り・摺りの技術がわかる一品である。


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