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月百姿 忍岡月 玉渕斎
玉渕斎(ぎょくえんさい)は主君に諫言し、疎まれて浪人となった。春の夜に玉渕斎が忍丘(上野台地の旧称。江戸時代は東叡山寛永寺、現在は上野公園)のほとりを歩いていると、富裕な花見客が桜の花を払いながら眺める質素な服装の玉渕斎を見て嘲笑した。それを聞いた玉渕斎は、矢立を取り出し、短冊に即興で「忘れては 袖うちはらふとばかりに 花の雪ちる 木々の下かぜ」と歌を詠んだ。酔客は自分たちの無礼を恥じ入り、逃げ去っていったという話である(出典)。
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畸人百人一首には、玉渕斎の「宮城野の 月の下風 露ふけば 神代もきかぬ 玉ぞみだるる」という歌が収められている。これ以外に玉渕斎という人物の記録はないようだ。
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花見の席では、見小袖を木に渡した紐に花並べ掛け幕の代わりとしていた。その前に黒衣をまとった玉渕斎が、風に舞う夜桜の花びらに囲まれて立つ。玉渕斎の服には正面摺りが施されており、一見粗末な身なりに見えても、そこには江戸の風流が感じられる。