文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)は坂上田村麻呂とともに蝦夷征伐で功を上げた平安前期の公卿で武人、三諸大原の長男。810年の薬子の変で平城上皇に従い禁固されたが、坂上田村麻呂の願い出により許され、811年(弘仁2)と813~814年に征夷大将軍となった。陸奥・出羽両国の兵1万余人を動員して尓薩体(にさてい)、胆沢(いさわ)両郡の蝦夷を攻略し陸奥国の征夷事業を完了した。同時に両国の兵制改革、百姓賑恤(ひゃくしょうしんじゅつ)、蝦夷移配対策を種々献策して奥羽の律令化を図った(出典)。
東北在住の方から譲り受けたが、何か思いがあったのだろうか。