見出し画像

教導立志基 伊企儺

明治18年(1885年)。教導立志基の壱番。

調伊企儺(つきのいきな)は、6世紀中頃の日本古代の武将で、百済からの渡来人の血を引くとされる。勇猛果敢な性格で知られ、任那日本府再興を目的とした新羅征討軍に参加したが、新羅の降服勧告を拒否し続けた伊企儺は、妻の大葉子とともに新羅の捕虜となる。

新羅の将から屈辱的な発言を強要されるも屈せず、「新羅の王、我がしりをくらへ」と叫び続けたという。その後、拷問に耐えきれず殺害され、彼の遺児も父の亡骸を抱いて命を絶ったとされる。夫の死を知った大葉子は、日本を偲ぶ歌を謡ったと伝わる(後世に付加された話との見方もある)(出典:wikipedia)。

教導立志基の壱を本作にしたあたり、征韓論うごめく当時の世相が反映されているのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!