平安時代、源義光は兄の源義家(八幡太郎義家)を支援するため奥州後三年の役(1083~1087)の鎮圧に向かうが、朝廷から許可は下りず、自ら軍を集めた。その途中で、笙の楽家である豊原時秋が加勢を申し出る。義光は当初断るが、時秋の真剣な態度からその目的に気づき、父から受け継いだ秘曲・大食調入調(大食調の「調子」の一部)を伝授することでその家の秘曲の断絶を防いだ。この曲は現代オルガン曲のような響きを持つ名曲として伝わっている(出典)。
その後、義光の血筋は、甲斐武田氏や佐竹氏ら東国の名家に広がっていった。