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風俗三十二相 おもたさう 天保年間 深川かるこの風俗
天保年間(1830-1844)の深川遊郭で働く仲居(軽子)。深川では、座敷の雑用は女性が担当していた。髪型は40代より上の粋筋の女性に人気だった島田崩し。当時高級料亭で使われた磁器が映える(出典)。
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深川・門前仲町の花街は、かつて料亭が立ち並び、芸者文化が栄えた。特に「巽芸者(辰巳芸者)」と呼ばれる芸者たちは、江戸時代は「芸は売っても体は売らない」という気風を持ち、羽織を羽織る誇り高い存在だった。また、「新内流し」という三味線を弾きながら街を歩く風流な文化も存在し、料亭の二階から芸者がひねりを投げる光景が見られたという。深川芸者は芸者の社会的地位向上にも貢献し、現在の芸者文化の基礎を築いた。
深川の花街の繁栄を支えたのは、木場の材木問屋の大旦那たちだったが木場の衰退とともに花街の文化も急速に消えていった。かつては料亭での宴に芸者が呼ばれ、三味線や踊りが披露される粋な空間が広がっていたが、現在では芸者の姿はなく普通の飲み屋街へと変わっていった(参考)。
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