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武勇雪月花之内 生田森ゑびらの梅

1867年(慶應3年)、源平合戦「箙(えびら)の梅」の絵。武勇雪月花之内の三枚続シリーズ。本作はその中でも入手が難しいが、構図が素晴らしい。

箙の梅の故事。
寿永3年(1184)の源平生田の森の合戦で、源氏方の梶原景季が平家軍に囲まれ苦戦する中、美しい梅の一枝を箙に挿して「蒐れば花は散けれども、匂は袖にぞ残りける」と戦った。父・梶原景時の助けを得て危機を脱し、父子で平家の大将・重衡を生け捕り勲功を立てた。景季は風流武士の異名を得て、能や浄瑠璃の題材となり、歌舞伎で広まった(参考)。

梶原景季は平安末期から鎌倉初期の武将で、鎌倉幕府の御家人・梶原景時の嫡男。源頼朝に仕えて治承・寿永の乱で活躍した。宇治川の先陣争いや一ノ谷の戦いでは武勇と風流心で名を馳せた。父景時とともに鎌倉幕府の有力御家人として重用されたが、頼朝の死後に父が失脚した。1200年、駿河国清見関で一族とともに戦い敗れ、景季も父とともに自害した、享年39。風雅な武士として、また忠臣として記録されている。

武勇雪月花之内は合計3作が確認されており、どれも大変な傑作ばかりだった。芳年はこの頃に多くの三枚続の合戦絵・武者絵を残した。

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