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友だちと遊んだ日

突然ですけど、友だちってどういう関係のことを言いますか? どの程度の関係ができていたら“仲が良い”と言えるのだろうか。

少し前に複数人で電話していた時、「あの子ってなんの仕事しているか知ってる?」という話になった。「私たちのグループの中で仲良い人って誰だろうね」と。

私は電話していた数人の中では一番その子と“仲が良い”かもな〜と思った。“仲が良い”の理由は「喋った回数が多い」ことだったけれど。誰かとの関係を会話の回数で判断しているあたり、別に仲が良いわけではないだろうといま振り返ってみると分かる。

自粛以降、久しぶりの友だちと

そんな私でも、友だちと呼べる人はいる。喋った回数でも、知り合ってからの年数でもなく普通のテンションで友だちと言える人たちが。その友だちと自粛以降、久しぶりに会って遊んだ。

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遊んだといっても私たちの遊び方は年相応ではなく、カフェに行ったりとか飲みに行ったりとか、夏らしくBBQをするとかでもない。近所の広場でバドミントンをしようというもの。

自粛以降、久々に会ってすることがバドミントンということが、私にとってはとても心地良い。居心地が良いものだなあと思う。

久しぶりだけど

友だちと呼べる友人はふたりで、この日は三人で遊んだ。よくよく考えてみたら私も社会人になってからは三人で頻繁に会うということも少なく、三人で会うのは“いつも久々”のような気がする。自粛だからというわけではなく、それが私たちの良いペースだった。

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しかしそれなりに自粛期間は思うところもあり、私は前職を退職したばかりでもあるし、適当に話しをする。この期間に好きになった音楽の話とかも。

同性同士で集まると、いわゆるマシンガントークが止まらないなどと表現されることは多々ある。でも私たちにおいては例外であり、それぞれがなんだか思い出したようにぽつぽつと喋る。マシンガンどころか銃の扱い方すら知らないような感じで。まあそれもまた心地良いのだけれど。

帰りに、時間が会えば散歩をしようという話になった。三人での散歩はまだ叶っていないけれど、二人での散歩は行った。誰かが散歩したいと思った時に気軽に誘いあえるというのはやはり良いものだなと思う。

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