※注意!いま本屋にいるなら絶対にこの記事を読まないでください。記事内容が面白すぎてほぼ100%その場で『せかむす』を購入してしまいます。
『人はみな自分の運命を持っている。唯一やれることは、どんな結末になろうと、それに従い、受け入れることなのだ。』――ヘンリー・ミラー
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当記事はMF文庫J様より刊行されている怪文書『世界一可愛い娘が会いに来ましたよ!』の感想および考察です。一読者のありったけの譫言戯言世迷言を詰め込んだモノです。今年最後の記事がこんなものになるとは誰が予想しただろうか。
では、気を取り直して。
お久しぶりです。にのまえ あきらです。年末ですね。
上に書きました通り、今回のnoteは『せかむす』(公式略称)についての感想と考察です。
おそらく文量と内容がエゲツない事になると思われるので早速本題に入りましょう。
1・『せかむす』の紹介
まず「『せかむす』とはなんぞや」という方に向けてまず簡単な紹介をします。
『せかむす』は著者:月見秋水さんの第15期MF文庫J新人賞にて優秀賞を受賞された作品です。いわゆるデビュー作ってやつです。良い表紙ですよねこれ。可愛い。
簡単なあらすじを書きますと、
1、高校二年生の主人公、久遠郁(17)の元に未来からやってきたという自称『郁の娘』である久遠燈華がやってくる。
2、燈華は郁と未来のママの将来を救うために未来からやってきた、らしいけれど肝心のママについての記憶を忘れている。
3、なんとかして郁と未来のママの将来を救うため、燈華が持ってきたアイテム・通称「パパーツ」を駆使して、ママ候補である三人のヒロインたちとの距離を縮めることに。
4、果たして未来のママは誰なのか。燈華は無事未来に戻れるのか。
というものです。あらすじだけで面白い。
余談ですが、受賞時のタイトルが『愛をママに我が娘に、僕は君だけを好きでいたい』となのですが、これはB'zのアルバム『愛のままにわがままに、僕は君だけを傷つけない』のオマージュだったりするのかなと思っています。(なんか見たことあるタイトルだなって思って調べたらこれがヒットした)
余談ついでにもう一個言うと、僕がたびたびこのnoteで挙げている二語十さんの『探偵はもう、死んでいる』が同期の作品だったりします。第15期MF新人賞やばない?
「『たんもし』もわからん!」という人は両方買おうね!(サムズアップ)
と、各書籍100万部発行の決定的な一打をしたところで、感想に入ります。
2・『せかむす』の感想
面白かった。まずこの一言から始まります。
けれど、今回の面白かったというのは、僕の中ではまあまあ変な意味合いでの『面白かった』になります。
なぜ変なのか。
答えは簡単、この作品が変だからです。
正しく言うならば変態です。狂気すら感じさせる変態ぶりです。
何がどう変態かというと、キャラクターが変態なのです。
ということで――――『せかむす』のイカれたメンバーを紹介するぜ!
エントリーNo.1!
「やっと、やっと会えました……!」と涙ぐみ、感動の展開的な雰囲気を醸し出しながらも、その実態は人様の家で勝手に風呂に入った後、バスタオル姿で胸元に飛び込んでくる自称『未来の娘』、久遠燈華。
エントリー No.2!
「私は君のママになるよ。だから今だけ、十七年前に戻ろうか?」と手に持った哺乳瓶をしゃぶらせようと言い寄ってきて、最終的にはなんだかんだで自分が指をしゃぶることになった大学四年生(留年二回)、千草瑛理子。
エントリーNo.3!
「郁ちゃん。僕ね……郁ちゃんの娘になってあげる!」女子高生の服を着て、中学からの付き合いである親友にそんなことを言う、ほかのどんな女子高生よりも女子高生らしい男の娘、二重莉生。
エントリーNo.4!
「私の裸に欲情しないなら、同じベッドに寝ても問題ないと思うのだけれど!」強気なことを言いながらも、「ビッチのフリをしているだけの、経験値と防御力ゼロのレベル1ビッチ」と言われてしまうビッチ系処女な幼なじみ、鳴海凛々花。
そしてそんなヒロインたちとの距離を縮めることを余儀なくされた主人公、久遠郁!――――以上だ!
……いかがでしょうか。
僕はもうこの文章を書いただけでお腹いっぱいです。自分でも「よくこんなやべーの読めたな」と感心しています。作者よくこんなやべーの書いたな。
面白かったんです!確かにやべーんですが、それでも読めてしまったのはこの作品最大の特徴にして長所であろうと思われる、『セリフ』という要素があります。
とにかく本当にセリフが上手いのです。ある場面の一つのセリフが冴え渡っている、というようにエモさで刺してくるタイプではなく、全てのセリフに並々ならぬ情熱が込められ、気配りが為され、磨き抜かれたそれらは、さながら店に並ぶ商品のようです。例えるなら伊勢丹です。内容的にはアカチャンホンポかもしれない。
同音異義語の言葉遊び、ウィットに富んだ返し、そのキャラの属性ならではの発言など、多種多様なおかしみを含んだセリフをキャラクターたちが軽快に紡いでいくのです。
特にすごいと思ったのは、三行以上のセリフがなかったことです。これ本当にすごいと思いました。すごすぎて気づいた時「うっそだぁ!」って言ってしまった。
一般的に、特にラノベでは(ラブコメではなおさら)三行以上のセリフというのはあまりよろしいものではないとされています。「キャラクターが早口で喋っているように思える」として『説明セリフ』と呼ばれてしまうこともあります。できる限り避けたほうがいいものです。(もちろん作品によりけりですが)
三回ほど読み返しましたが、二行以上のセリフはなかったです。これは生はかなことではありません。できる限り避けた方がいいと言いましたが、一つもない、というのは相当なことです。その観点から、作者のセリフの読み味、ひいてはキャラクターの表し方に対する熱意が込められているな、と感動を覚えました。
次、設定!
超簡単に、一行でまとめると、
『自分の娘を名乗る少女が未来から自分を救うためにやって来た。』です。
この文章だけではどう見てもSFです。ラブコメのラの字もない。ついでにラノベのラの字もない。加えて「パパーツ」「ムスメーター」などのガジェットも登場するのです。これではどう考えてもSFですが、『せかむす』はラブコメです。
SFの題材をゴリゴリのラブコメで調理するという、自分にとってとても斬新な設定というか試みに、僕は感動を覚えました。こんなことやっていいのか!本当か!と嬉しくなりました。もっとSFラブコメ増えろ(過激派)。
ちょっと少しちょっぴり真面目な話、割と増えてくる気がします。まず最近、エンタメノベル界隈に百合がムーブメントとして来ていまして、そして今年はSF小説が特異点を引き起こしまして(割とすごいレベルの)、さらに〈SF百合〉というSFと百合双方にシナジーが効いている凄まじいジャンルがいま物凄い勢いで増えており、その余波としてラブコメにアクセントや舞台装置として、ないし新しいアーキタイプになることを狙ってSF要素を取り込んだ作品が出てくるのではないかなーと思ったり思わなかったりしているのですがこの話をするとめちゃくちゃ長くなるし既にオタクの早口になっているのでこの辺にしておきます。
閑話休題。
僕が『せかむす』に対して面白いと思った要素はそんなところです。MF文庫J新人賞の選評に合わせて示すなら〈キャラクター〉と〈世界観・アイデア〉の二つに魅力を感じたということです。けれどもう一つ、〈ストーリー〉について僕は思うところがありました。それについて最後に書こうと思います。およそ多分にネタバレを含む内容となりますし、この考察を先に読んでしまうと確実にバイアスがかかってまともに読めなくなってしまうので、できれば先に『せかむす』を読んでくることをオススメします。
あなたはこれから『せかむす』という怪物を目撃する。
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3・悲劇的観点から見る『せかむす』の考察、の前に『せかむす』の示す可能性について。
――――よろしいか?
十分に忠告はした。それでは怪物の話をしよう。
まず、僕はこの作品を読んでいる時、ずっと違和感があった。ふわふわとした、言い様のない違和感。
僕はこの感覚を知っていた。
『クビキリサイクル』や『死を見る僕と明日死ぬ君の事件録』を読んだ時も、『シュタインズゲート』を見た時も同じ感覚を覚えた。
それらの作品を読んだ時、最後に訪れたのは予想だにしない真実による、いわゆる〈どんでん返し〉というやつだった。
どの作品も言い知れぬ違和感を覚えながらページをめくり先を追った末に、それまでの全てをひっくり返すような衝撃があったのだ。
「おいおい、まさか。これはラブコメだしラノベだぞ」
読んでいる途中、違和感の正体に気づいた僕は一笑に付して流そうとした。
けれど、流せなかった。
作者の情熱が、可能性を捨てさせなかった。
読者諸賢は『せかむす』のあとがきを読んだであろうか?
読んでいないのであれば、僕が今ここでその一行目を伝えよう。
「僕はライトノベルが好きです。」
この一行から始まっている。
この一文を見て思った。
この作者なら、この作品なら何かがあるのではないか、と。
僕はライトノベルの可能性を信じている。
「たかがライトノベル」とバカにする輩が未だにいることが許せないレベルだ。
だからこんな、デビュー作のあとがきの一文目に「ライトノベルが好き」なんて書く作家の作品に可能性を見出したくなったのだ。
「作者の人そこまで考えてないと思うよ」なんてセリフが頭にチラついたがそんなものは知らん。考えている可能性を示すのみである。
4・悲劇的観点から見る『せかむす』の考察
メタ的要素から切り込んだゆえに、考察もメタ的な部分から入っていこうと思う。
まず見たいのは、第15期MF文庫J新人賞の総評である。
総評には「個性的な作品が揃ったが、キャラクターの倫理観が気になる作品が多かった』とある。
突飛なキャラクターを描きたいがために、各自の倫理観が何処かずれているシーンが多々見受けられた、と書かれていた。
それはつまり、新人の実力不足によるキャラクター造形の瑕疵と見られたのであろう。
けれど、ここで一度立ち止まり、その認識をひっくり返してみよう。
倫理観の欠如、それは果たして瑕疵なのであろうか?
実は意図して欠如させているのだとしたら?
そんな観点から見た時、僕は『せかむす』が悲劇的な話に思えた。
愛を喪った人物たちの、愛をめぐる物語である。
まず主人公。幼い時に母親を亡くし、そもそも愛という感情を忘れている。それを取り戻すため、娘が未来からやってきて自分のために動き出す、というのが話の起こりである。
これにより『せかむす』は始まった。
次に千草瑛理子。なんやかんやあって主人公の指をしゃぶったと上記したが、その理由は、指をしゃぶる癖が小学校に上がっても治らず、その対策として小さい頃からお世話をしてもらっていた主人公の母親に指をしゃぶらせてもらっていたことを話し、一度だけ主人公に甘えさせてもらうことになった際、主人公にそれをお願いしたからである。
この話を真に受けるならば、千草瑛理子は相当な愛情渇望症であり、主人公の母に家族相当の愛情を抱いていたということになる。主人公が母親を喪ったのと同じくらい、その喪失は大きいものだったのだろう。そう考えれば、主人公の指をしゃぶるという行為がどれだけのものか、その意味合いや受け取り方が変わってくる。
彼女は愛を求めるがゆえに、愛を与えるような振る舞いをしていたのかもしれない。マッサージはされるより、する方がエンドルフィンの分泌は多いのだ。
次に二重莉生。彼は両親の問題により父親が長らく別居しており、父親からの愛に飢えていた。その愛は相当なもので、主人公が自分がパパとなろうと言った際は涙すら浮かべ、その期間を全力で楽しんでいた。
そしてこの二重莉生。無視できない要素が愛以外にもある。
いわゆる男の娘、なのであるが、男であるという事実がどこにも示されていない。
女である、という事実も示されていない。
作中で莉生を女性だと勘違いした女性二人組にナンパされ、ブツを見せつけ撃退したようなシーンもあるのだが、実際に見せたかどうかは不明である。
そして主人公と娘の燈華が目撃した父親への手紙には「あなたを愛する娘、莉生より」と書かれていた。
真相はパンツの中――と書かれたいたが、ここに一歩踏み込んでみよう。
男であり、女である。男でなくて、女でない。
それが事実だとするならば、見える答えは一つ。
オメガバースである。
聞いたことがないだろうか。
元は海外(主に英語圏)で発生した特殊設定で、特殊嗜好の一種である。その内実としては『男性の妊娠、および出産』を扱う。
日本にも似たような、というか一部同じ概念がある。
両性具有、いわゆるふたなりである。
日本で言うふたなりは女性に陰茎がある場合を指すが、オメガバースは男性に子宮がある場合も、女性に陰茎がある場合もある。
両性具有。神の造形、第三の性。そう呼称する人すらいるという。
んなアホな、二重莉生がふたなりだと?解釈違いだ。そう思った読者諸賢。
思い出してほしい。この作品の設定の下地にはSFがあることを。
現実をフォーマットにしたラブコメである前に、この作品はあり得ざるべき事象に対する耐性を十分に獲得しているのだ。
なればこそ、二重莉生という人物が主人公に求めた愛の形は極めて複雑で、けれどやはり愛という単純明快な感情に集約されていたのではないかと思う。
真相はパンツの中である。
次に鳴海凛々花。彼女は作中最も単純で、そして最大の愛を持っていると思われる。単純な恋心。嫉妬に近いものである。主人公は幼なじみでありながら自分にちっともなびかない、それどころか近所のお姉さんや男の娘、果てには従姉妹と仲良くしだす始末。幼い頃から抱いてきた恋心は消えることなどなく、むしろ際限なく膨れ上がる。大輪がその身を開くように、けれど決して萎むことなく。甘い匂いで誘い出し、求めているのはただ一人。けれど、求める愛は少しも与えられることはない。
そしてどれだけ跳ね除けられようと、しょげることなく、墜つることなく、自分を高く保ち続ける。それは並大抵のことではないだろう。
ベッドで主人公を誘い、けれど受け入れられなかった時、彼女は言った。
「嘘よ。寝られるわけがないじゃない。あなたが隣にいるのだから。それに、待つのは別に辛くないもの。小さい頃から今日までずっと、郁と生きてきたから。今更よ」
その愛の形を僕は賞賛し、尊敬したい。
余談ですが、黒髪に金のメッシュが入った彼女の髪色が作中で「スズメバチカラー」と表現されているのが、名前に花が入っているのに愛という花粉を求めて飛び回る生き物のように思えてとても好きです。
そして最後に、久遠燈華。これが問題である。
まず、燈華が主人公と対面した時、燈華は目に涙を浮かべて主人公の胸元に飛び込んだ。ここでまず違和感を覚えたのだ。
考えてもみて欲しい。
ただ過去の父親に会っただけで嬉し泣きをするだろうか?
この時間転移は突発的なもの、彼女の意思によるものだと考える。
例えば未来の父親に自分を救ってくれと言われ、はいわかりましたと向かったのなら、泣かないだろう。
それに、母親の記憶がないなどというイレギュラーも起こらないはずだ。
そのせいで未来へ帰れなくなっているのだ。
もしも意図的なものなのだとしたら、それはパラドックスが起こらぬよう世界が調整した結果か、それとも彼女を過去に飛ばしただれかの仕業なのか。
真相は不明だが、およそ彼女の知らないところを見るに、意図的なものではないように思われる。
だから僕は考えた。
突発的に過去にやってくる必要があり、そして会った時に泣いてしまう。そんな理由。
そして、思いついた。
あまりにも突拍子のない、けれど筋は通っている考察。
倫理観の欠如、という総評から生まれたもの。
それは――父親、主人公の死。
これは、『せかむす』は、父親の死によって始まった、愛を求める娘の時間旅行であるということ。
父親の死、それによって精神に異常を来しているのだとしたら。
喪った父親からの愛を取り戻さんと動いているのだとしたら。
風呂上がりのバスタオル姿であろうと、自分とほぼ同じ年齢である父親に再会した途端、胸元に飛び込んで泣いてしまうのも。
母親の記憶が抜け落ちているというのも。
事あるごとに自らの可愛さを振りまき、父親に褒めてもらおうとするのも。
他の人間がママになる、という提案に対して躊躇も嫌悪も逡巡すらも見せなかったのも。
最後の夜、父親に願いを告げ、再び胸元で泣いてしまったのも。
理解できる行動ではないだろうか?
ただ倫理観の欠如している行動、というだけでは片付けられない壮絶な理由がそこにはある。
死によって別たれた先、もう一度だけでいいから会いたいという願いによって引き起こされた現象なのではないか、と思っている。
物語終盤、なぜか未来に飛んだ主人公はそこでも娘と出会う。そして、こんな会話があった。
「なるほど。今のお前は過去に飛んだ経験を持つ燈華ちゃんか」
「あれぇ? どうして分かったのですか! 燈華ちゃんの抜き打ちテストなのに、まさかお父様も私と同じ特殊な『力』を持つ『異端者』だったのですか……?」
「うわ! 変な発想が遺伝しちゃった! そもそもお父さんは一般人だよ!」
「いや、一般の親子は時間跳躍できないと思います」
これは娘と父親の微笑ましい会話としてその場では流されているが、これが真実だとするならば、主人公と燈華は時間転移の力を持っていることになる。
そのトリガーは、互いを思う感情である。
主人公は家出した燈華の無事を祈るうち、気づいたら未来へ飛んでいたのだ。それはつまり、願った相手の存在する時間軸に跳躍する、という見方ができる。
父親を喪った燈華は、そうして過去へやってきたのかもしれない。
以上、これが僕の考える『せかむす』の考察である。
・最後に
ここまで書いておいてなんですが――実は、この考察は全くの的外れです。ジョークのようなものだと思ってください。
カクヨムで『MF文庫J編集部』というアカウントから公開されている『せかむす』のSSを読んでいただければわかりますが、主人公である郁は死んでいませんし、ママはきちんといますし(誰かは判明していない)、最終話には本編開始直前あたりの話が書かれています。僕の考察なんか木っ端微塵に粉砕する締め方です。まさにハッピーエンド主義にふさわしい始まりの、始まりの終わりでした。(ややこしい)
では、なぜ間違っているとわかっていながらこんな考察を書いたのか?
それはひとえに『せかむす』という作品が僕を動かしたからに他なりません。
こんな怪文書を書き上げさせてしまうほどに『せかむす』という作品は面白く、力があり、全貌不明の拡張性を秘めているのです。
この考察を見て震え上がったそこのあなた、安心してください。
作者である月見秋水さんはあとがきにこう記されています。
「僕は決意します。過去に自分が熱中した、ひたすら幸せで、ハッピーエンドの物語を書こう、と」
この文を見て、僕は『せかむす』という物語を見届けたいと思いました。僕の中に生まれたダークマター的考察は当たっていないにせよ、『せかむす』がどのような終わりを迎えるのか非常に気になったのです。
作品を読み、そしてこの記事までも読んでくださったあなたへ。
どうか共に『せかむす』という愛あるハッピーエンドの物語の末を見届けましょう。
最後の余談ですが、二重莉生の性別が公開されていないのはマジです。
夢が広がりますね。
追記:2020年6月6日
プロローグ19Pの11行目にある凛々花のセリフが3行以上ある事に気づいてしまいました。節穴どころでない目ん玉と適当発言を謝罪します。いやホンマ気づかんかってん。
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