①『街・津田沼』昭和50~60年代の習志野市立津田沼小学校 エンサイクロペディア~記憶の彼方にダイブイン~
①
津田沼という街の記憶と
津小 各生徒の所属?先生方の出身大学?
昭和50年~60年代の津田沼。
JR津田沼駅と新京成線新津田沼駅周辺の商業施設が開発され過去最も活気があった時代。
バブル期(昭和61年から平成3年頃)の足音が聞こえ始め、”とにかく明るい日本”を子供ながらに感じていたと思う。
その時、現在アラフィフの私は津田沼小学校の生徒だった。
現在、私は東京都内に在住しているものの、
「津田沼戦争終焉のお知らせ」のような
ネットニュースを数件見かけて寂しくなった。子供の時に見ていた「キラキラした盛り上がってきている津田沼」を知っているからだ。
自分の父親の社宅が津田沼にあったため、
津田沼に一時的に引っ越してきた。
それが津田沼小学校という”スパルタ教育”に
どっぷり浸かる(洗脳?!される)きっかけとなった。
クラスメートにも、「社宅」族が多かった印象がある。
「たまたま津田沼に引っ越してきたが為に
スパルタ教育に出会ってしまった同士」みたいな。
あの頃の津田沼小学校の生徒達の
”所属(居住地)”は、
個人的な記憶の中では下記の通りだ。
JR津田沼駅の線路の近くにある高層マンション・・・2%
国家公務員宿舎(大きな団地)・・・18%
国鉄(現JR)宿舎(大きめの団地)・・・17%
住友セメント宿舎(巨大な?土地に団地)・・・10%
銀行員、信用金庫等の社宅・・・3%
ハシノ文房具屋さん(駄菓子や。懐かしい!)から比較的近い?
京成津田沼に行きやすい名前忘れた白いマンション、ルネ津田沼、フジタマンション?等の分譲・賃貸マンション・・・20%
一軒家(代々津田沼住民の可能性高)・・・30%
平成~令和の世になり、自分の娘を公立中学校に入れる際、
「この辺には警察の社宅があるから、
大企業の社宅があるから、等々
だからこの地区の公立中学校は荒れていない」と
噂話を頼りに進学先を選ぶ人多数、と妻から聞いた。
当時の津田沼小学校を思い返すと、
新津田沼駅、JRの線路方面に向かって所謂「社宅」が多く存在した。
大手企業や公務員の子供や公務員の子供も多そうだった。
所謂「荒れていない小学校」の部類だったと思う。
(余談だが、京成津田沼駅方面には、父親が
JALやANAのパイロットである、という子もいた。
京成線で成田空港に行く為に津田沼を居住地に選んだと思われる。
そんなエリートのお子様も ”スパルタ”小学校に通われていたのだ(嫌々?)。何故か私立小学校に行かずに)
一方、
先生方を思い返すと、恐ろしく「体育会系」だった。
あのスパルタ教育「器械体操審査会」をご指導出来る人材は
体育大学出身者でないと不可能なのかもしれない(?)
ふと、YouTubeで下記を見た。
「これが、あの津小の毎日毎日繰り返される”行進”の原点?!」
と訳の分からない事を思ってしまった。
【集団行動】日本体育大学 最新演技
当時の津田沼小では
毎日朝から下校までくたくたになる程、
暇さえあれば器械体操をし、
一日二回、隅々まで床を水拭き。
先生方は恐いし(笑)、
いじめっこがいなかった気がする。
いじめる暇も余力も子供達には残っていなかった(その点に関しては結果良かったと思う)。
時は令和になり・・・
自分の娘に、
「お父さんはな、津小では、毎日行進してたんだぞ!」
「行間体育では「開閉飛び」を1回~2回~と
言いながらジャンプしてた」と言っても、
「何それイミフ~」
としか言われなかった
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