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ロスワのシナリオ解釈・"ケンポン脚本"という陰謀論・国内外の文化の違い・もう一人のKen P ~ソニックを取り囲む諸々の調べごと~

※前回物凄く当初の予定と違う形でロスワのsontails解釈部分だけをまとめてしまったため自分でも主題がよくわからなくなったので、この文章序盤には前回と重複する部分があります。
※エグいぐらいとっちらかっているのでまた後から文章整えます。(20210701早朝)

 二兎はおそらく、『描こうと目指しているもの』がある程度明確であれば、実際にお出しされたものには欠けた部分があったとしても、本来完成したであろう部分を加味して評価しがちなのだと思います(もちろん、欠けた部分を惜しくは思いますが)


 その例が『新ソニのゲーム性』であり、『ロスワでのテイルスとソニックの関係性』であり、『フォースのシナリオ』であるわけです。


 新ソニはやろうとしていることに技術が(開発的な意味でも、ハードの性能的な意味でも)追いついていなかった。

でも具体的に説明するまでもなく、今の技術で作り直せば悪いものではなくなるだろうということはわかってくれる人が少なくないと肌感で思います。


 ロスワでのテイルスは、エッグマンとの共闘展開にイライラしはじめ、ソニックにも辛くあたってしまう。

 直前のシーンで自分もソニックには呆れた態度をとっていたにも関わらず、いきなりエッグマンに敵意剥き出しにしているのが違和感の最たる原因だと思います(そもそもそのシーンでもエッグマンの提案には皮肉を吐いていますが)


 ただ、実際にゲームをプレイしていれば、間にはいくつかのステージもあり、カットシーンは直接的に連なって見せられるわけではない。そして該当のシーンは『エッグマンの工場に辿り着いたところから』始まる。

ムービーこそないものの、

『道中合間にエッグマンのいくつかの提案があり、ソニックが行動の指針としてそれを呑んだ』こと(それが「ソニックはボクよりエッグマンを信頼してるんだ!」に繋がる)自体は充分補完できる流れではないかと、個人的には思います。

行動原理自体は「頼られたかったんだよ……」と後で白状してますし、そもそも上記の怒りのピークシーン単体で見ても結局は『エッグマンに向かって「「お前のせいだろ!」」とソニックと仲良く指を突きつける』というオチがついている。


 特に日本ネットでは上記のシーンばかりが取り沙汰され、「ロスワでのテイルスは性格の悪い嫌な奴」とまで言われがちですが、それは大きな誤解です。

おそらくカットシーンだけをつなげた動画を観た場合、ムービーの挟まれる間隔やシーンごとのオチが意識しづらくなり、余計にそういう印象になるのではないでしょうか?

そもそもイライラしているのは上記のシーンぐらいで、その後は功を焦って失敗する→よりにもよってエッグマンに助けられるという経験を経て、ちゃんと自らを省みます。


 また、その「頼られたかった」という我欲自体も、見方によれば"子供っぽい"のですが、これは『ソニックの後ろをついて回るだけの自分』から脱却した結果芽生えたものとも言えます。


 以前に比べて自分に自信が生まれているからこそ『エッグマンに頼らずとも自分がいるのに』という感情が生まれるし、ソニックと一緒に『素直にエッグマンに頼ろう』となれない。技術面でのライバルとしてエッグマンは『真正面から張り合う相手』なので、なおさら。

地の利も六鬼衆の情報も明らかにエッグマンには利用価値があるのだから、予防線は張りつつもエッグマンの言うことを聞く、少なくとも表面上は素直に協力するフリをしておくのが一番合理的なのはテイルスなら当然わかっているはず。

その"合理的な判断"を妨げる幼いエゴというのが、この物語において彼がぶつかり、乗り越えるべきものだったというわけです。


 卓越した頭脳を持ちながらも子供らしい未熟さに振り回されてしまう。そんな本作のテイルスは、操作キャラでない限りともすればただの便利な技術屋・解説役に甘んじてしまいがちな立ち位置のキャラクターとしては、遥かに魅力的な描き方をされていたと、二兎は思います。


 そしてそれはこの点に関しては(自分の失敗のせいであるという直接的な弱みだけでなく)ソニックがテイルスよりはほんの少し『大人な判断』ができているという対比でもある。

ただソニックはテイルスがそういうエゴを抱えていることには気付けなかったから、上記の衝突に繋がってしまうわけです。


 遡ればロスワは一番最初のステージで"墜落するテイルスのトルネード"から始まり→上記の仲違い〜一旦の和解→ソニックをかばって身代わりに拐われる→頭脳と技術を活かして六鬼衆を出し抜きソニックと合流、改めて"頼れる相棒"としてのポジションにきちんと収まる→そして最後にED後の隠しステージでは"修理したトルネード"にソニックを乗せて『BELIEVE IN MYSELF』をバックに飛ぶ……これがどれだけ印象的な象徴に満ちているかは、もはや説明するまでもないと思います。


 二人のバディとしての関係性がぶつかった壁、そしてそれを乗り越える流れが、かなりはっきりと本作のストーリーラインの一つになっているわけです。


 ただ、その中においてソニックが演じた役割というのは、かなり"損"なものであったのは確かです。

何度も先走ってはその度に事態を悪化させ、ついにはテイルスが敵の手に墜ちてしまう(それも自分を庇って)という。

ヒーローというのは常に貧乏くじを引きがちなものですが、そのピンチを極力周囲に及ばせないのがヒーローらしさでもある(ソニアド2でも、新ソニでも、フォースでも、彼はある意味とばっちりと言えそうなレベルでシャドウが怒らせた相手に絡まれている)

その点で言えば本作の彼は未熟さ・若さという点を強調されている。


 しかし普段やりそうもない失態だからこそ、ザボック達六鬼衆に対して余裕のない激しい怒りを見せるシーンがありました。ある意味では『ソニックX』でのダークソニックを彷彿とさせる流れです(逆説的になりますが、『フォース』で本人が半年間痛めつけられていても挑発的な態度を崩さなかったのはこれと好対照なシーンでもあり、双方極めて『ソニックらしい』と個人的には思います)


 以前も一度書きましたが、本作のソニックは他にもエッグマンに助けられたりといった失敗を色々と経て、エンディングにおいて『のんびりする』ことを選ぶようになる。

いつも自分一人で突っ走っていてはどうにもならないこともある、というのがこの物語でソニック個人に与えられた壁であり、物語全体としても一番表面的なメッセージでした。

 ただ、ロスワの物語は

エッグマンを『一癖はあるが、大人』であり、『導く側』

ソニックとテイルスを『成長過程にある子供』であり、『導かれる側』

という役割に安易においているきらいがあります。

そこが特にソニアド~日本脚本時代の『完璧なソニック』しか知らない日本ファンから極端に批判される部分。

個人的には3人のキャラクターから致命的に外れるとは思わないですが、メッセージ性ありきになっている部分は否めません。(これもまたエッグマンの役割については『ソニックX』のリフレインととることもできる)


 ソニックとテイルス、そしてたまにオーボット達が結託してエッグマンをからかうシーンが多いのも子供っぽさを高めます(いつものエッグマンの幼稚さは、今回はEDぐらいでしょうか。ソニアド2やヒーローズ、新ソニのような切羽詰まりまくって無駄口叩く暇がほぼない状態でもないのに一緒に行動するとこうなる、というのはそれはそれで美味しい関係性だと思います)


 ちなみにオーボットとキューボットの二人は元々セガとしてはシリーズから退場させる予定だったのを、PontacとGraffがどうしてもと入れたがった結果の登場・続投になったそうです。

カラーズ~本作どの時点での話かは曖昧ですが、同時に明かされた話によれば初登場のカラーズのプロットがセガ側開発陣作であることや、同じくセガ側が書いたと言っているジェネレーションズでは回想シーンで宇宙に置き去りにされるだけの扱いだったことを考えると、元々はここで出番終わりの予定だったのをロスワを執筆する際に両氏が復活・続投させた、と取るのが一番しっくりくる流れかと思います。



 ところで本作のテイルスの役割について上記で長めに書きました。二兎は『カラーズ』以降のソニックに対して時に辛辣なテイルスが大好きなのですが、これはただ模範的な『いい子』であるよりずっとイキイキとしていて、ソニックとも対等さ(そうであろうとする意思や、互いの信頼)を感じるからです。


(もちろんそれ以前のテイルスが嫌いなわけではなく、特にソニックXでチャックと発明家友達になったり、ワルアドでピックル教授と知り合いであるという描写は物凄く好きです。彼が才能を活かして人間社会でも評価され、ソニック中心なだけではない彼の人生を生きている。ソニックXでエミーが一人暮らししていたり、ナックルズがトレジャーハンターとして東洋っぽい所で活躍していたのも同様。遡ればソニアドでステーションスクエアやテイルスの工房が出てきた所から始まっている話)


 しかし日本の旧来ファンからは単に「性格が悪くなった」と取られることもあるようで……

その点に関して、個人的に以前より抱いていた一つの仮説があります。


 英語圏では、『ボケとツッコミ』でコミカルさを演出する文化が主流ではない(だから、日本のギャグアニメ・漫画におけるツッコミキャラが『しょっちゅう理不尽にキレているキャラ』のように感じられることがある)という話を聞いたことがないでしょうか。

それは極端な例ですが、実写アニメ問わず『コメディ』の描き方として日本作品と海外作品には大きな文化の違いがあるのは確かです。


 つまりは、これの反対のことが、息のあった親密さの演出でもある『ジョークにジョークで返す』シニカルなテイルスに対して起こっているのでは……という。


 こういった日本語・英語の会話のテンポの違いはソニックシリーズでも当然意識、指摘されざるを得なかった部分であり。


 例えば絵本シリーズの掛け合いは、極めて日本的であるのがわかるでしょうか。

個人的にも印象に残っているのは『暗黒の騎士』EDの「オレぇ!?」や「ハンマー、デカっ!」ですが、他にも全体的に"いかにも"な日本的ギャグのテンポが全体通じて多いです。

主な会話シーンが3Dムービーではなく独特のアートを使った漫画的な表現なのもあり、この二作はシリーズの中でも際立って『日本アニメ的』な作品です。

(これはあくまでも他との違いの話であり、好き嫌いや良い悪いの話ではない。個人的には両作とも"設定と世界観はハイパー超魅力的"、"シナリオ自体はツッコミどころが割とあり、普通にいい、ぐらい"という感じで、合わせて良作という評価。ひみリンはさらにゲーム性も割と好み)


 他にも『秘密のリング』の「ハンカチを山ほど出してくれ」のシーンがかなり評価真っ二つだったり、台詞回し・掛け合いに対する日本とはだいぶ違う反応が英語圏ではそれなりにあったようです(流石に当時の反応を追うのも限界があるので挙げられる例は少ないですが、ハンカチのシーンは特にイケてないシーンとして今でも定期的に槍玉に上がるもの)

また、ひみリンの作品自体の評価に関しても、当時新ソニの反動もあって過剰に持ち上げられ、逆に今は「みんなあんな褒めそやしてたけど操作性終わってるだろ」と極端なバックラッシュに振れている部分もある…ようです。

ストーリーについても懐疑的な意見が割と見られ(シャーラの急な裏切り等)、特に日本と評価の乖離がある作品である模様。ただこれについてはそもそもストーリーを見るためにゲームプレイ部分でストレスを受けている(操作性の他にも、どのクエストをクリアすれば話が進むのかわからない、等)関係もあるのでは…と個人的には推測します。

当時は今とは逆に「無理やりソニック以外を使わされることや、そのパートのスピード感のないゲーム性にうんざりし、とにかく他のキャラクターはいいからソニックを操作させろ、走らせろ」という声が極端に高まっており、ひみリンはワルアド前にある意味ドンピシャでそれに応えた存在ではあった……という話。らしい。

日本ではどちらかというとシナリオ面での評価が特に高い作品ですが、英語圏ではそういうわけでもなさそう。

ちなみに日本で大人気の「ちょっとすごいハリネズミ」の下りなんかも英語版ではシンプルな言い回しになっていたりするので、翻訳の関係もあるものと思われる。


 またひみリンが出た当時の2007年と言う時期は、既に英語圏では「ヒーローに救われるヒロイン」という構図を単純に王道展開と受け取らない流れが出始めていた時期でもある……というのも加味した方が良いと思います。

黒騎士も同じく、絵本シリーズまでのソニックはとりあえず感覚でヒロインを出していました(エリス、シャーラ、マリーナ、ブレイズ、マリン、コスモ等。遡ってマリア、ティカル、チップは微妙な所)

これもまたある意味では『日本的』となりつつある要素だったわけです(2022年現在、その感覚の違いは多くのオタクが肌で感じていることだと思います)



 だからこそ『カラーズ』では"次の世代"を目指すためにもガラリと方向性を変える必要があり、Ken PontacとWarren Graffの二人を招いてカットシーンを任せることになった。

皮肉めいたジョークやアメリカンな会話のテンポなどをソニック達の掛け合いに導入すること(これは英語圏でのアニメ・アメコミとの解離を埋めるためでもあると思われる)を期待しての起用であり、会話シーンの前後の流れまで含めて同作での全体的なプロットはセガ側開発陣がすでに用意していた、とそれぞれ発言しています。

ヒロインという要素の排除も、同様に海外展開を見据えた上でのセガの意図があったのは明らかです。

(1993年よりずっと続いていたアメコミにおいてもヒロインは存在したものの、そもそもが征服されかけの世界で抵抗を続けるレジスタンスという設定もあり、女キャラ達も自ら戦う『仲間』としての側面も強かった)


 また、『フォース』において日本スタッフがシナリオを書き、"アメリカチームに会話の内容と間を調節してもらい"、そこから改めて日本語版の台詞を作る……という手間をかけていたのも、正にこのためだったのでしょう。

どちらをベースに作るかで、ムービー自体のテンポや身振り手振りの大きさがまるで変わってくるのは間違いありませんから。特に最初の『カラーズ』では明らかに日本語翻訳チームに負担がいってるな…と感じます(日本語版のセリフは日本側スタッフが大いにアレンジを加えた、と"発売前から"つまり、不評を受けて脚本家を守るため等ではなく、インタビューにて明言されています。悪名高い「敵を倒すケンポー」のシーン等はおそらく日本側の苦肉の策であり、これをもってして英語版のセリフ(全然違うもの)を書いたPontacとGraffを叩くのは筋違いの可能性が高い)(それはそれとして、英語版でも両氏が書いたジョークは評判が悪いものが結構ある)



 またテイルスの話に戻るんですけど、現在IDWソニックのメインライターとして活躍し、ソニックフロンティアもこの人なら間違いないだろうと日本で言われているIan Frynnの描くテイルスだって、日本脚本時代よりはずっとカラーズ以降寄りなんですよね(というか、Archie中期以降のアメコミにおけるテイルスのキャラにゲームの側を統一したという感じでもある。カラーズ当時既にFlynnはArchieソニックにライターとして参加していたし、開発期間を考えるとPontac, Graff両氏とほぼ同時期にシリーズに参加することになったのではないかと思います。直接本人たちが連携をとることがあったかは不明ですが、セガの目指すキャラクターの方向性として判断基準になる事実)


 ところでそのIan Frynnと入れ替わりにArchieソニックから抜けたKen Pendersという人物がいます。Archieソニックの初期からメインライターを務め、コミック版におけるオリジナルキャラクターの多くが彼によって生み出されました。本編だけでなく多くのスピンオフシリーズも彼の手によるもので、特にナックルズを主人公としたシリーズにおいて多くのエキドゥナ族のキャラクターやその物語を描きました。

日本においても人気の高いスカージ・ザ・ヘッジホッグの元となった『パラレルワールドのソニック』という存在を最初にコミックに登場させたのも彼のアイディアです(その頃はまだ体が青く固有の名前もなかった)


 2006年3月に出版されたArchieソニックの第160話は、現在脚本・作画としてそれぞれメインで活躍しているIan FrynnとTracy Yardleyのタッグがはじめて参加した回であり、スカージの体が緑色になったという非常に印象的な回でもあります。

重要なのは、緑色のスカージが生まれたのはKen Pendersがシリーズを抜けた後だと言うこと。


 Ken Pendersはその後2008年に発売された『ソニッククロニクル』において「自分が権利を持っているArchieソニック時代の設定やキャラクターが勝手に使用されている」としてセガを相手に訴訟を起こします。

この訴訟に関する一連の動きは2009年から起こっており、ソニックカラーズ発売時は正に裏で係争の真っ最中でした。その後2013年にPendersが作り出したキャラクター削除と世界観の一新を経た後、訴訟が原因だとは明言されていませんが、2017年にセガはArchie社との契約を終了。ギネスブックにも載っている世界一長く続いたゲーム原作のコミックシリーズは打ち切られることになりました。


 Ken Pendersは2022年現在でもTwitterでアクティブに発信しており、現在進行系で様々な方向性の問題発言を垂れ流して定期的に炎上しています。

映画ソニック2に対しても訴訟を検討しているそうです。前述の通り彼はナックルズとエキドゥナ族に焦点を当てたストーリーを展開しており、映画に関する訴訟もそれに関する部分。

推測ですが、実際火をつけようとしているところを見るに、ここ十年ほどゲーム本編でナックルズとエメラルドがろくに話に絡まなかったのは彼の存在も大きかったのではないかと思われます。下手に動くとこうなることがわかっていたからという。


 2018年にIDW社より再始動したソニックのアメコミシリーズにおいてセガがキャラクター監修を強めたのも、Pendersと同じ轍を踏まないようにという理由が大きいと見られています。

遡れば少なくとも2010年発売のカラーズ以降ゲームでの脚本をセガ側が用意していたというのも、登場するキャラクターや設定をちゃんと把握・管理しておくためではないか?と言うのは決して考え過ぎではないのではないでしょうか。


 日本ではこの件が知られず、まるでKen Pontac一人がソニックのフランチャイズをぶち壊した全ての原因かのようにケンポンケンポンと極端に巨悪化されている部分が大きいですが、そもそもソニックに関する彼の仕事はクレジットを見ればわかる通り全てWarren Graffとの共作であり(ゆえに海外では二人をまとめたPontaffという蔑称がある)、キャラクターに関しても(Pontacはソニックのゲームこそプレイしていないものの)セガから渡された資料(Bible)があったと発言しています。

また少し前にセガが"ソニックにさせてもいいこと・だめなこと"をルール化していると話題になったり、Ian Flynnが「セガはチームダークには友情のようなものは存在しない、あくまでもビジネスライクな関係だと考えている」と自身の配信でぶっちゃけたり、

Pendersの一件以降シナリオ・キャラクター監修においても(少なくともアメリカの)セガが少なからず口を出していたのは確かであり、日本の一部界隈における"ケンポン"は、問題の本質から目を背けるある意味スケープゴートに等しい存在になってしまっているのではないでしょうか。


 この点において、歴年のオタクの間でまことしやかに謳われている『日本セガとセガ・オブ・アメリカはとても仲が悪い』という噂が関係してくるのか、どこまで事実なのかはわかりませんが、少なくとも25周年頃に飯塚隆氏や"Sonic Pillar(Sonic Studio)"がソニックシリーズを展開する拠点として統一されてからここ数年は、新作のsteam版が日本でも同時発売されるようになったりなど、以前に比べると大きく改善されているのではないかと思います。

25周年記念に日本のソニックチャンネルで公開された"Sonic Comic"シリーズは(あくまでも表から確認できる限り)豊田栄太郎氏が責任者である最初の大きなプロジェクトですし、少なくともこの時期以降の日本とアメリカのセガ・ソニック部門は連携が取れている(あるいはWiiU版ソニックトゥーンの不評を受けて日本側の発言権が高まった?)と見ていいのではないでしょうか。


 ただ前述した通り結局ソニックフォースの開発はそれ以降の話であり、日本側がシナリオを書いたと明言されています。もっとも初期プロットからは大きく削られたようですが、その劣化が"ケンポン"のせいであると単純に外部から断じることのできるような話ではないのは多少なりとも伝わったのではないでしょうか。


 ここからはさらに憶測を重ねるのですが、本人が語ったPontacのソニックシリーズに関わることになったきっかけが真実であった場合、見方によっては"コネ入社"に近い…ので、内部で人間関係や派閥争いによる軋轢があった可能性もゼロではありません。日本側が書いたはずのフォースの脚本問題を結果だけ見れば体よくPontacに押し付けてトカゲの尻尾を切った形になっているのは、個人的に違和感しかない(あくまでも邪推を重ねた可能性の話で、日本が書いた本をアメリカ側が改ざんしまくった可能性もなくはない。この場合は前述のコネのせいでアメリカ側の裁量が馬鹿みたいに大きかった?という逆方向の邪推もできるという話)
いずれにせよ"ケンポン居なくなった!イアンフリンなら勝利確定うおおおおお!"とか喜んでる人はもう少し慎重になったほうがいい、ということだけは伝えておきたい。

(疑問なんですが、なんで"ケンポン"を親の仇のように叩いている人は、こんな格好の材料に言及していないんだろう?)


 ともあれ、ソニックというフランチャイズに関してセガがキャラクターIPを厳格に管理するようになったきっかけ、そして一部の停滞を招いた明確な原因である存在と呼ぶならKen Pendersの方がよほどふさわしく、Ken Pontac一人に問題を押し付けてケンポンケンポンと脳死で叩いている人たちは結局のところろくに情報を追うこともせず、集団ヒステリーに踊らされて酔っているだけ。それは確かです。

というか、わかった風な口を聞くならせめて現在進行系でブランドに泥を被せまくってるKen Pendersの存在と問題を知ってくれ!


 ちなみにソニックに限らず海外ウケを意識して長期シリーズのゲームが路線変更した結果、日本以外にも世界中の旧来ファンから「日本っぽいところが良かったんだろ!!」と声が挙がるのは珍しいことではありません。

ただ結局そういうシリーズは長期的に見れば安定して伸びていくんですよね。文句を言いながらついていく旧来ファンに加え、単純に間口が広まる話なので。



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