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大阪の奥行きある風景


大阪駅付近の歩道橋より

排ガスまみれのスポット。上下の車線数がアンバランスなのは謎だが、自動車がスピーディにこちらへと向かってくる光景は見事な絵になる。絶叫マシーンに座っているかのような感覚も然り。心地よさに酔いしれてしまい、しばらくの間じっと立ち尽くしてしまった。

商店街の風景

随分と長い路地ではないだろうか? 3名の歩く姿が遥か遠くに見える様。昼食に立ち寄った飲食店のオーナーは、この通りを「商店街」と呼んでいた。うーん、どうだろう? 伝統ある店々が、次第に近代建築へと変貌を遂げていくかのように見えて仕方がない。まるでグラデーションの如く。

通天閣

消灯前の通天閣本通。煌々とした通りであるが、夜の9時を回ったあたりから店々がシャッターを下ろし始める。新世界エリアには華やかなイメージがある。きっと通天閣の影響が大きいのだろう。だが、実際にはそれほどでもない。あまり関心を引くものがなかったので、この通りは素通りしてしまったのだが、ずっと奥には風情ある居酒屋や昔ながらのゲームセンターなどが見られた。

消灯後の新世界

消灯後の新世界は静寂な漆黒の世界と化す。少し前にはあれほどまで賑やかだったにもかかわらず、もはやこの時間にもなれば人の気配すらしない。私の中の大阪の先入観が大きく崩れてしまった。それにしても、たくさんの提灯に風流を感じないだろうか? 時代劇のシーンにありそうな光景である。

古風な空間

アーケードの中の店々は自宅も兼ねているらしい。窓の向こうを覗き込んでみると、ぼんやりと明かりが見える。部屋の蛍光灯であろう。窓際には、洗剤やまな板などの台所用品が透けて見えた。年季の入った住まいからは生活の温もりが伝わってくる。さて、狭い路地はどこへと続くのだろうか?

出口の見えないアーケード

アーケード型の商店街は大阪の至る所に存在するようだ。そして、立ち並ぶ店のほとんどは飲食店である。食い倒れの町の所以だろうか? 諸事情にてコンビニを探していたこの日、どこまでも続くグルメ店に心が折れそうになった。出口に到達せずして引き返してしまう始末。日中と比べ閑散とした空間が嘘のよう。

窓の向こうの喫茶店

大阪で出会った人に「B級グルメの代表格」として紹介を受けたお店。美味しそうなメニューばかりだったが、店内の雰囲気が自分には合わないと悟り、外から眺めるだけにとどまった。窓越しに見える店内の奥行きに思わず魅了されてしまう。私語厳禁のルールがあれば入店していたであろう。

南海通り商店街

難波。老若男女、さまざまな格好をした人々が行き交う。東京とは違い、足早に移動する通行客が少ないのが特徴かも知れない。この商店街は奥行きはあれど、予想外に複雑な構造をしていた。道に迷ってしまった自分。そんな途方に暮れた矢先に辿り着いたのが、お笑いの聖地「なんばグランド花月」であった。

裏路地

梅田周辺を歩いていると、風情ある裏路地に入り込んだ。地元の人々に愛されているであろう「隠れ居酒屋」が目に飛び込んできた。無論これは勝手な想像だが、あながちまんざらでもなさそう。店内がよく整理されているからである。客にモテる証拠でもある。この裏路地は、夜にどんな姿になるのだろうか? 外灯に照らされた風情ある空間を想像してしまった。

麦茶

歩き疲れて麦茶で一休み。この場所は一体どこであったろうか? 詳しくは思い出せない。この画像の主役は「奥行き」ではなく、手前の「ペットボトル」であろう。奥行きはぼやけている。乾きに耐えかねた私の視線は麦茶に一極集中していた。偶然にもカメラが捉えたフォーカスと私のそれとが一致しただけのことである。まさに私の心を映した写真と言えよう。「私の気持ちを理解してくれる銘機だなぁ」と何度も心に感じた。

異国情緒漂う通り

まるで中国の飲み屋街を歩いているかのような雰囲気に包まれる。看板の高さが独特である。夜はスナックやらバーの客引きで溢れかえるのであろうか? 私の経験からだと、家屋の上階には内密に風俗が設けられていることが多い。だが、真実は分からない。手前の風を切って歩く男性に訊いてみようか? とにかく、女性はサラリーマンを居丈高にさせるもの。

心斎橋

水面が建物を僅かに反射させている。水面鏡ってやつだろう。大阪が紹介されるときは、決まってこの様な風景が利用される。ところで、橋の上で小説のストーリーのような待ち合わせをしてみた。一度でいいからやってみたかったのである。すると、約束の女性はどこからともなく現れた。この日も曇天だったが、出会いの瞬間には太陽が束の間の笑顔を見せてくれた。

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