博士号を持ってうろうろしている姉のターン
やりたいことに「ダンゴムシの産卵・孵化・脱皮を見る」などを想定しており、いいのがあったら私もやろうと思っていたので、妹の世の中の価値観を変えるという話を読んで、そうなっちゃったかと思いました。でもこういう使い方をするためにnoteを始めたのかなと思ったので答えようと思います。
こういう世の中になったらいいなというのがあってそのために頑張る人はたくさんいて、それぞれ選ぶテーマや貢献の仕方が違うのだと思います。ミンちゃんが言うとそうなってそういう風にやっていこうと思っているのかと思いました。
私の場合、大学院の授業でやりたいことを聞かれたとき「世界にはまだまだ自分の知らないことがたくさんある」って言いたいと答えました。方法は分かりませんでしたが、雑誌『ナショナルジオグラフィック』みたいなことをしたいと思ったんです。それって何だろうと思ったらその言葉は次にこう変わりました。「世界はそこだけじゃない」って言いたい。私がナショジオを読んで、まだここを見てないから見に行かないとと思ったように、何かひとつのことで悩んでいる人がいたらナショジオのようなものを見せて、こんな世界もあるよって言いたいなって。
留学していたときPh.D student(博士号を取ろうとしている大学院生)であの大学にいますと答えたらどんな研究をしていると町の人に聞かれました。Ph.D studentと答えただけで素晴らしいと思ってもらえることと研究内容を聞いてもらえることが日本ではなかなかなかったのでそういう会話が行われることに驚きました。そして日本でも科学を楽しめるようになればいいのにと思ったのですが、科学の世界を知ってよって言うのは違うなと思いました。好きなものがある人はそのままでいい。もし何か困っていることがあったら、ちなみにこんな世界もありますよとかこちらの世界ではこうですよって言いたいくらいだよなって。科学館の館長や科学雑誌の編集者や研究所や大学の広報、社内報のデザイナーとも話したし、教育実習もしましたがピンと来ませんでした。科学について言うのが目的じゃなかったから。「世界はそこだけじゃない」を示すために私がそこに関わる必要は感じなかった。世界にはもうナショジオがあるし。それで私は楽しそうにしている大人がいるから世の中は楽しいんだと思ってもらえればいいと思いました。私がわくわくしていないのに「世界はそこだけじゃない」も何もないと思って。わくわくしている人を見るとわくわくする。いいなと思う。そうやって巻き込んでいけるといいなと思いました。
やりたいことっていうより使命感かもしれないとミンちゃんが書いていました。始めた仕事が向いていて、できることになって、それは今もやりたいことのままでさらに磨きがかけられている。SHOWROOMの前田さんが言うmust、can、willになっている。やる気もあっていいです。
私は本の中で遊び、大学に入って「世界にはまだまだ自分の知らないことがたくさんある」を確認して回りました。本の中の世界、ムーミンの世界だと思っていた白樺の森と湖の世界は実はフィンランドで実在していたなんてことも知りました。でもまだ私がやっていることは私が楽しい止まり。私が楽しければいいんだけど、もっと楽しくなるためには、もっと人を巻き込んでいきたい。両親も元気で、お金にも困っていなくて、原動力は弱いです。私が楽しければいいに留まりがち。でも新聞を読むと世の中にはこんな問題があるのだと思ってどれを解こうかと思います。気持ちが立ち上がります。新聞に書いてあったことを人に話して議論することも好きです。それまたそこで止まっているんですけどね。今は新聞社に行ってみようかなと思っています。とりあえず興味があるし、解決したい問題と仲間も見つかるかもしれない。人生は楽しんだもの勝ちでそれ以上でも以下でもないらしいですよ。そんなところに今います。
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ミンちゃん
やってみたいこと①だったから②もあるんだろうね。やってみたいというよりやりたいだね。