博士課程のその後のキャリアデザイン
留学していた人のその後のキャリアが載っているサイトを見たとき、私もここに寄稿したらいいと思った。去年、コロナ渦にポスドクとしてアメリカに戻るのをやめた私は、大学院卒業時に進路が決まっておらず、学会誌のキャリアデザインの連載を一通り読んだ。そのとき一番役に立ったのがキラキラとしていないお話だった。
学会誌には、自分は博士課程だけでは足りないと思ってポスドクになった人、結婚を言い訳にして自分のキャリアを重ねることから逃げてきた人、研究に専念して同期と喋ることをしなかったのはとてももったいなかったという人がいた。そんなこと言っていいんだと思った。それまですごい人のすごい経歴しか読んだことがなかった。
私も自分は博士課程だけでは足りないからポスドクとしてアメリカの研究室に戻らないとといけないとずっと思っていた。一つの論文を出すまでに時間をかける研究室だったので結果が出なかったらどうしよう、後に引けなくなりそうだと思っていた。でも博士論文を書き終えてみればそれなりにやったのではないかと思えた。海の上に針のような足場ができたと思った。ポスドクとして研究を続け、その針を鉛筆の太さに広げることもしてみたいと思うけど、いったん針から周りを見渡してみる、社会に出てみることをしてよかったと思う。研究以外の評価があること、研究の良さを知った。
そう私は社会に出た。私みたいな人もいたと安心し、キャリアデザインを書いた人にお礼のメールをして、その後学会で出会った人のところでそのまま働き始めた。ご多分に漏れず、人生にはいいときも悪いときもあるということだし、人生の設計方法は本当に自由だということだ。連載を読んだときはそれが怖かった。これからは授業もないし、成績を付けてくれる人もいない。入学式や卒業式といった区切りもない。私は自分の人生をちゃんと組み立てられるのだろうかと思った。
ジャンプする前にはしゃがまなければならないと言った人がいた。「しないといけない」から解き放たれたときはジャンプだと思ったけれど今はまだしゃがんでいるのかもしれない。ちゃんとしゃがまなければいけないとも思う。ジャンプの話をしてくれた人は20年しゃがんでいたらしい。しゃがみたくなんかないかもしれないけれど、ちゃんとしゃがめているということは羨ましくもある。私みたいな人もいると言いたくて書いたこの文章が誰かの役に立ったら嬉しい。