自らすすんで、どれぐらい遠くまで外出しようかと思えるかは 回復のバロメータになる。 当然、遠くに行こうとすればするほど、 回復のサインになる。 少し前の私の場合、約束すれば遠出はできるが、 自分一人ですすんで電車に乗って遠出しようと思うことがあまりなかった。 しかし、最近はわざわざ電車に乗って都心まで遊びに行こうと思えてきたのだ。 ここがポイントである。 約束があるわけでもなく、つまり本当に自由な状況で自らすすんで 遠出をしたくなる、ということが重要なのである。 ちなみに
「実は」大きいうつとお金の問題。 普通に考えればお金の問題が大きいことなど普通にわかるのだが、 心理学のテキストでは触れられてこなかった。 療養中、最も健康状態を揺さぶった要素と言っても過言じゃない。 明日の生活を脅かされるのである。 この問題にぶち当たるときが一番自殺願望が喚起された。 生きる気力が低迷している人間にさらに追い打ちをかける。 生きたいかどうかもわからないのに、 生きることに足かせをつけられるようなものなのである。 わたしの場合、たまたまこのような仕事をして
わたし自身、今も病院(精神科)とカウンセリングの併用を続けている。 双方がともに違う面で力になってくれている。 わたしが抱えている問題にもいろいろな側面がある。 うつの症状自体だけではなく、 それに付随する生活や仕事に関する問題もある。 わたしという存在はうつか否か、というものではなく、 わたしには生活もあり、仕事もあり、個性もあり、 さらに言えば理念や希望もあるのだ。 それぞれの要素がそれぞれに関連しあい、影響しあっており、 それぞれの側面に対して適した専門家に頼ることが
不真面目ではないのでうつ病に無縁とまではいかないが、 わたしはそこまでなりやすい体質ではなかった。 学部生や修士の時、 数十と実施した心理検査でも 一度もうつ病に親和性がある結果は見られなかった。 今思えばこれは怖いことだ。 誰でもなる可能性がある、 そういうことだと身をもって実感することになった。 きっかけは職場でのハラスメント 繰り返し浴びせられるわたしへの否定の言動は まさに催眠術だった。 最初は「わたしは悪くない」とわかっていたものが、 気づけば「わたしがおかし
こうしてソファに寝転がっていると 1番動くとこができなかった時の感覚を思い出す。 全身が重だるく、 いくら念じても金縛りのように体が動いてくれない。 心臓は重苦しく、 鎖で雁字搦めにされて地中深くにぶら下がり、 鎖の先に巨大な錨がぶら下がってるような感覚だ。 食欲があるのかないのかわからず、 生きることを力なく拒むように食事を摂ろうとしない。 光の届かない、カーテンを締切った部屋の中で、 ただただ曇色の冷たい空気が停滞していく。 生きる元気もなければ死ぬ元気もない。 ある意
うつは人の人生を年単位で奪ってしまうものだ や、今「奪ってしまう」と書いたものの、 だからといって空白になってしまったと言うと あまりにも簡素すぎて否定したくなる。 ただ、うつになることで積もっていた悲しみや怒りを考えると、 「奪われた」と言ってしまいたくなるのだ。 しかし、 私の中で「奪われた」ということばを否定したくなる自分もいるのは 5年という時間薬だけではなく いろんな人とのかかわりによって積み重ねられた治療という大切な努力が わたしをそうさせるように思う 美
今、仕事の休憩時間。 お茶を片手に執筆を始めてみた。 今私は週3で今の職場に通い、週1でもうひとつほかの職場に通ってる。 フリーランスで心理士として、やっと過ごせるようになった。 思えばここに至るまで何年かかったか、 すぐに思い出せるほどの年月ではなくなっていた。 一年一年、さかのぼってみる … 2018年の11月 5年前の11月、うつになった心理士としての人生がはじまった