
日記「土日、無職のぼくとはたらく友達」
無職。話せば空虚に感じられる言葉も、書けばなんとなくパワーがあるような気がする。自覚すれば自覚するほどウッとなるが、自分が今まで出会っていなかった境遇の目新しさに何となくウキウキしている。さっさと就職したほうがいいのにね。
ーーー
2025年2月1日。先週のいつかに、Discordの通話中に突発的に誘われたアウトレットパークへ行く日だ。「なんか買いたいんだけど、いかない?」という感じで誘われ、二つ返事で承諾した。土日に友達と遊ぶ。しかもドライブ。かなりテンションは高かったと思う。運転できないくせにドライブは好きだ。自覚している。ウザいやつである。マッチングアプリにやたらとこういう人が多いらしい。
当日朝はやたらと目覚めが良く、11時に集まる予定が10時半に池袋に着いてしまった。毎度池袋駅まで行くたびに思うことだが、到着時間が本当に読めない。ちょっと早めに行こうとすると30分前に着いてしまうし、ちょうどくらいに着こうとすると10分ぐらい遅れてしまう。交際相手がいたときも、よく池袋には来ていたのだけれど、大体遅れていた。
ユニットの相方と合流して、「いい車で来たらあいつにもうこれからずっと車出させればいいやん」と話していた。そうしたらVOLVOで来ていた。普通にいい車だった。
高校生の同級生で四人合流。共通の知人の世間話をしながら、酒々井アウトレットパークへ車は進む。千葉の地名で一番読めない。しすいと読む。
ああ、いいなあと思うことは、昔からずっと同じ話で二時間以上喋ることができること。これこそが深い関係のいいところであり、それ以上のものは望めなく思う。これまでの人生で、そういったコミュニティは何個か築けたのではないかと思うけれど、こういうやさしい関係はもっと多く作っていかなければいけないなと思う。
アウトレットでは、案の定何も買わなかった。そもそも金がないときの「あるある」なのだが、欲しいものが本当になくなってしまう。お金のあるときは、あれこれ手を出してみようと思い、ギターやら携帯やら買っていたのだが、貧乏の今はなんとも。欲がそもそも削がれている気がしている。
ただ、自分の風貌を変えたいという気持ちがあった。どうにかできないかと思っていたが、友達がブランド物のピアスを買っていたのを見てハッとした。とりあえずアクセサリーを買おうと思っている。アクセサリーはパッと自分のテンションを上げられるので好きだ。
帰りは車を返して(というか友達の家の近くまで戻って)、その足で4人で池袋のレストランへ向かった。美味しい酒に美味しい料理。なんかハンバーガーが丸ごとチーズに埋もれた料理を食べた。
自分のキャリアがわかんねえんだよなあっていう話をしたら、友達は怪訝な顔をして、「じゃあこれやれば?」とたくさん案を出してくれた。なぜ全部の案が魅力的だったのに、これだ!ってならないんだろう。
そしてその帰りでなぜかゲーセンに寄り、友達がVTuberのグッズを求めてクレーンゲームに明け暮れた。3800円かかった。
ーーー
2025年2月2日。友人と一緒に書店を巡る日だ。
下北沢に降り立つのは久しぶりだと思っていたが、会社の同僚と下北沢で古着を買いに来たのを書きながら思い出した。そういえばあのときは溢れるほどに金に余裕があったが、なぜか買わなかった。あんまり購買欲がそもそも強くないのか。うーん、ファッション自体は嫌いじゃないはずなんだけど。痩せたら変わるのかもしれない。
改札へ向かうと、改札の外で友人が待ってくれているところが見えて、なぜかその光景が少し嬉しく思えた。人と会うたびに思うが、自分のことを待ってくれていたりするときと、会ったときの表情は全く違う。その表情の刹那的な変遷を見るのは好きだし、一番人間らしさが出るところだなと思う。
自分はどう見られているのだろう。そもそも、自分って相手から見てどういうふうに見えているのか、意識することも特にない。自分の見てくれよりも大事なものがあると信じている。だが、自分の見てくれは人生で一度も気に入ったことはない。自分が好きな自分になることに、お金も時間も盛大にかかってしまうことに、毎回落ち込んでしまう。ただ、自分を好んでいる人を後悔させないために、もっと気に入ってもらえるために、見てくれを変えようかなと思うぐらいである。
合流して、「本屋B&B」に向かう。移転前に一度来たことがあって、昔はもっと狭かった覚えがある。現在のB&Bは、かなりデザインされた建物の二階にあり、なんというか、下北沢再開発計画の一つになっているなという印象を受けた。とても綺麗で、それでいてとっつきにくくない。いい雰囲気があった。
本屋の中では、リトルプレス(小規模出版)・中規模出版・大規模出版のごった煮という感じで、ジャンルごとに分かれていた。初めてのリトルプレスが売られている現場とのご対面。「こんなに本があるんだね」とつい言葉が溢れる。友達は若干困惑してからすぐに表情を和らげ、「そうなんだよ」「一日でこの棚ぐらいが出版されてるんだって」と話してくれた。
二人で本の装丁やデザインを語りまくりながら、広くない店内を練り歩く。一歩進めるだけで、およそ500冊ほどの本を見逃すことになる。注意深く一冊一冊取り出してはああでもないこうでもないこれがいいあれがいいを重ねる。僕は素人だから、基本的に「これがいい」でしか判断ができない。自分のなけなしの審美眼をぎゅっと握りしめ、真摯に見る。
最近、やたらと「手に職をつけたい」と考えるようになった。自分の不安定さに嫌気が差していることは勿論あるのだけれど、自分が雰囲気やイメージで把握しているものを、ちゃんと相手にもわかる記号と言語を使って話せるようになれたら、どんなに良いだろうと思っているからだ。
僕はどうなりたいんだろう。僕はどんな大人になりたいんだろう。Rainy Worksの第三弾を書いたときから、思うことは一緒。僕が一番かっこいいことをやりたいし、一番誇れることをしたい。
でも一番かっこいい人って、憧れる対象になってしまう。自分がそれになれるイメージが全く湧かない。
やりたくないことをやらないって、確かにずるい気がするけど、
やりたいことをやらないって、なんでみんな反対するんだろう。
本屋B&Bでは、pha著の「パーティーが終わって、中年が始まる」を買うことにした。結局幻冬舎の出版物を買ってしまった。いや良いんだけど。やっぱそこでしか買えない、出会えないものを買うべきだったなと思う。ただ、その本屋ではどうしてもこの本が光って見えた。いや光ってはいなかったかもしれない。自分の興味を惹くものが沢山ある中で、一番この本が恐怖の権化に見えたからかもしれない。また次来たときは知らない人の知らない本を買おうと思う。
友達はというと、くどうれいん著の「わたしを空腹にしないほうがいい」を買っていた。なんか前日も一人で本屋に行って何冊か買ってしまったらしい。出費がやばいんよなあやばいわあと言いながら買ってるじゃねえかと思った。本屋を出た。
井の頭線に乗って渋谷へ向かい、そこから乗り換えて中目黒へ。Space Utility Tokyoへ向かう。リトルプレスの宝庫らしい。名前がまず好きだ。Space Utility Tokyoへ行こうよと誘われたときから、「あ、いい」と思った。本屋らしくない名前だ。コワーキングスペースとか、貸しギャラリーに思える名前だ。それでいて本屋。最高だ。Spaceという言葉に含まれる空間性、コミュニティの広がりが本屋から受け取れるなんて。自分のやりたいことを先にやられてしまっているなあと若干の悔しさがあれど、先達がしっかりいるんだと思う。
中目黒駅からGTタワー方面の歩道をひたすら歩くとSUTはポンと視界に出てきた。
入るとわかる。やさしい空間。
数々のステッカーや雑貨、そして少しのスペースに置かれる、百冊いくぐらいのZINE。どこの誰が書いたのか分からない本が沢山ある。どこの誰かもわからないのに、同じことを思って、みんな違うことを書いて、編集して、出版して。それがビシビシと伝わる。思考と思想を表層に持ってきて、それを一生懸命伝えようとするひたむきさ。
SUTでは宮後優子著の「ひとり出版入門 つくって売るということ」と、生活綴方出版の「すきな仕事嫌いな仕事」を購入した。店主さんとも話して、今やろうとしていることを話した。こんなにすんなり分かってくれるのか、と初めて思った。やろうとしていることがあまりにもニッチだから、普通は何度か説明しないと分かってくれない分野だと思う。とても嬉しかった。
友達はというと、また出費がやばいわあと話しながら何冊か買っていた。いや買ってるじゃねえかと思った。「飲み会を辞めたら存分に買えるよ」と言ったら、「いやあ、でも飲み会って楽しいしだいじよ」と話して、「そうだね」と返した。
その日に浴びた衝撃を帰り道にお互い話し、少し落ち着いて喋るためにチャイ屋に行った。チャイ屋に行くのは初めてだった。店内に入ったとき、今年始めてメガネが曇った。ブラックペッパーが効いたチャイで、甘いのに辛い、不思議な体験をした。チャイって美味しい。そう思っていると解散時間になり解散した。
いつも行く本屋とはまるっきり体験が違った。
いつも行く丸の内オアゾの丸善には、本が120万冊が売られているそうだ。
だから、本屋B&Bでの一言、「こんなに本があるんだね」は間違っているかもしれない。
無数の本を無視して、自分が欲しい本がある場所へ真っ先に向かって、その後になんの後悔もなくレジへ向かう。一気に今までの体験が無味乾燥なものに思えてきた。
こんなに本がある。こんなに本があって、独自の空間があって、そこに人がいる。本屋はコミュニティの集合体であってほしいんだなと気付いた。
僕のやりたいことが何となく決まった日だった。ふわふわとしていて、なんの現実性もない話を聞いては、友達はずっと「いいなあそれ」「手伝うよ」と話してくれた。無形の何にもなっていないそれを信じてくれる友達が沢山できて、本当に恵まれたなと思った。
帰りにバブを買った。本田翼は一日に30分風呂に入るらしい。まずは本田翼を目指すところからだろ、と決めた。寒い2月の街を、バブを持って小走りで歩く。多分BARTHとか使ってるんだろうなあ。本田翼は。