歴史的な誤解と疾病と
歴史的な誤解と疾病と
かつて、結核は「不治の病」と言われていました。
学校で習った‘結核‘という病の情報と
書籍や伝記の中で伝え聞く、結核
かつては治療が難しい病だった結核にも化学治療薬が登場し、治癒率が向上していった。
結核そのものは、BC5世紀のヒポクラテスもその病について記しているといいますから、
相当昔から社会の中にあった病だったといえます
この結核も、医学がおいついてきてから、事実に基づいた認識もおいついていきます
医療と就労(社会)の間をいったりきたりしながら、社会の中で、病とどのように社会、及び人が向き合ってきたのか・・そういった点に関心があります。
『社会がどう認識するか』
によって、病への認識、イメージが異なり、そこに感情や、風潮なども混ざっていくとき、対象の病は、人の頭の中のスティグマ(負のレッテル)化していく傾向がある側面には、いろいろなことが、そうした現象に通じていくため、
何故、そうなるのか・・を、この結核の歴史より、少し観てみたいと思います。
医学的には、コッホが結核菌を発見する(1882年)までは、『結核は遺伝と体質』による、とされていたといいます。
なんでしょうか・・医療業界でも、情報の解像度が低い、もやもやっとする段階において、医師や医療サイドより、こうした‘病‘と『人のタイプ』性質や性格と結びつける話が聞こえてくる場合があります。
遺伝的な要素については、わかっているところと、そうでなないところがあり、遺伝子の関与にエビデンスがある疾患もみられます。
しかし、裏付けが乏しい場合、個人的にそれを言ってしまうと、その人の原因論みたいになるため、それ以上医学的に云々と考えることを手控える傾向が出てきてしまうような、風潮や思い込みに、危うさを感じる場合があります。
症状や病気がその人の心理や精神にを与える場合があるため、関係がないとは言い切れませんが、この議論は負のレッテルや感情につながる場合もあるため、慎重な扱いが必要と感じます。
さして根拠が乏しいなかで、こうした情報が先行する場合がありますが、(これは情報の周知が行き届いていない疾病程みられる現象)
早期のまだ判然としない、あるいは、共有されていない段階では、そうした情報は『危うさが潜んでいる』と常々感じています。
結核も長く統計が整備されていなかったため、歴史は長いのですが、その病の実態や深刻さへの対策とが遅れていきます。
今の指定難病患者、と、難病の定義に入っている難病と、定義に含まれていない難治性な疾患患者、定義に入ることはない難治性な疾患患者の様子も、
依然統計は整備されているとはいいがたく、実際には非常に多くの患者が病実の影響を受けていますが、結核同様に、世界の遅れ、その深刻さが共有されない状況になっている状況に映ります。
内務省は明治25年、結核において、はじめてサンプリング調査をはじめ、
若年層の感染者が多いことがわかってきます
全国結核死亡者の調査は明示32年
その結果、実は死因の第2位まで、死者が多いことがわかっていきます
ですが、行政関係者からは‘虚弱体質‘‘先天遺伝‘と、疾患に対しての誤った情報、誤解が、国の真ん中からもおこり、そうした風潮ができあがっていきます
‘大きな組織だから適切な情報を伝えているかどうかはまた別問題となることがある‘
という教訓
コロナ禍でも、自ら考え、対策を選びたいものです。
難病患者のかたからお話しを何百とうかがう中で共通してうかがうことは
疾病への理解
についてついてですが、
どう理解してもらえるといいのかにおいては、やや当事者の皆さんに、どこまで求められるのか、どう求めたらいいのか・・の迷いや戸惑いが見られます。
やはり場合によっては(個人差があります)症状がない方と異なる行動を、症状の影響によって、対処しないといけないことが出てきますので、
➀病気のことが事業者に話せない。
話せない空気が社会にある。社会のなかで抜本的な取り組みがなされていない状況下では、
非開示で就労をせざる得ない方も多くなるため、その異なる行動への理解を周囲もしにくい、状況が現場で生じてしまいます。憶測化‥たとえば症状により
・トイレの回数が多くなる という疾患や
・紫外線を避ける必要がある(程度がある)
・疲労がある。これは、単なる疲労ではなく、易疲労(いひろう)という強い疲労のことが多く、「疲労?私も疲れていますとよ」と誤解を受ける場合があり、コロナウィルスに感染した患者がその症状の中で「重苦しい感じたことがないような強い疲労があった」と語られていますが。みえにくい症状により、社会的な誤解により、負の感情を誘因してしまうケースが散見されます。
・過眠症の患者の、「過眠?こっちは睡眠不足なんですよ。寝れるんだからいいんじゃない?」も、実際にもし、コロナウィルスによる感染の症状に、ずっと10時間以上、あるいは、日中の強い眠気に見舞われたら、(睡眠の長さ、眠気の出方には過眠症、個別に差異があります
)周囲の一定の理解がえられないと、「眠そうにして、やる気ないんじゃないの?」「生活が乱れている」と誤解に繋がっています。
まだまだ、知らないことによる誤解により、双方が感情を消耗している現象をたくさん
お見掛けします。
この誤解による非生産的な感情消耗は減らせるのでは?
通院を継続しやすくなるだけで、ぐんと働きやすくなる方もみえ、治療を加味した多様な人材を包括できる会社の適応力は、社会の基礎力の一つともいえます。
結核をどう解釈(どう考えるか・知るか)するか、どう思いたいか・・により、世界の結核により影響がことなっていきました。
そして、日本では、患者数も増加、感染が広がっていきます。
どこかでみたことがある傾向ですが・・
明治末期の紡績工場の女工の中でも感染がひろがっていき、
感染すると故郷に帰らされた女工により、地方に感染がひろがっていきます。
大正7年の死亡者14万人、10万人の感染者の内257人は死亡
昭和2年、結核予防法が施行されます。
いったん患者数は少なくなったように見えるなか、さらに増加し、国民の疾患別死亡者の第一位になります。
秦育彦氏の「病気の近代史」によると、そのころの死亡者は世界ワーストの記録を残している、と記載されています。
歴史を振り返ってみるなか、同じような社会思考パターンのようなものが、この医療と社会を取りまく困りごとには映り込んでまいります
やがて、BCGのワクチン接種がはじまり、患者数は減少していきます。
さらに化学療法が確立されていき、「結核の診断が死」のイメージとのリンクが断ち切られて、社会全体で、情報量が増え、認識のアップデートが起こっていきます。
「不治の病」とは言われなくなっていきました。
今現在、私自身は、同時に多くの疾病、患者やコミュニティーとご一緒させていただいているため、実際個人が体験している症状、医師からの情報、(当事者を通じた)、患者コミュニティーとのアンケートなど、多くの情報が入ってまいります。
すると、この疾病の社会的な誤解ポイントはここだなぁ、この段階にあるので、こういう風にしていくと、誤されにくくなる、周知がすすむ、社会の共通認識できるステージをつくる作業が必要だなぁと、それぞれ疾患名がことなっても、基本的な構成要素は同じであるため、大きくは、難病・難治性な疾患は、どうのようにしていくと変わっていくのか、個別の疾患と、多くの疾患に共通していることが同じであることが見えてまいります。
そういうことを支援者研修でされますと、たくさん疾患はあっても、整理の仕方はある程度体系的にでき、それは、これまでも身体障がい者手帳での難病者の就労支援でも取り組んできたノウハウと共通していることがわかります。
しかし、もう少し整理ができると感じています。
いままで取り組んできた障害者雇用での支援から、一般雇用枠で就労する難病患者や、長期慢性疾患患者も、その支援の対象となってきている中、法律的には支援をしいないことににはなっていませんが
障害者雇用促進法の対象でないため・・
と支援機関みんなが誤解して、一歩まえにすすめる方法の前に、立ち止まっている状態にも映ってまいります。
この点については、国が「やるぞー」と言ってくれたらいいのですが、
やる理由を説明するのは、たいていそれを必要とする側の人になります。
じゃあ、その本当の動かぬ理由を共有しているか、となると、
難病患者の全体のコミュニティーでは、就労に関しては、情報が整理しきれていない傾向があり、取り組みにも戸惑いが見られています。
こと就労については、多くの皆さんにとって、必要な取り組みでもあるので、対社会の理解や雰囲気、‘空気‘をつくるためには、まとまってもいいのではないかなぁと思ったりもしますが、
就労世代の方々が、みんなで話し合って、なんとかできる世界ではないかと、感じております。
そこに希望があるように感じております。
既に歴史のなかに多くのヒントがみえるようです。
一定量、社会の中で情報が共有されるとき、「あの時代は何だったんだ」という、ことがおこる
なんだんっただ・・という時代へと、ページをペラリめくりたいものです。