難病と就労 参入
テーマと社会の参入。
今の社会は、競争原理の上に成り立っているといいう事実。
そうした競争社会が資本主義の社会にあるなか
事業のpurposeや、倫理的価値観、同調圧力、将来の保証されない短期雇用など
そういう社会だからね
というような空気に生きずらさを覚える人は少なくないのではないだろうか。
研究者という人とのかかわりでは、なかなか露骨に他の研究者や、同業他社の成果を歓迎するというより、蹴落とすような素振りがあることを、
実践研究から片足をつっこんだあたりで、垣間見る
少ない枠を競い、獲得するためには、そうした力加減もはたらいてるのかと、
社会勉強になる。
今後、学生の減少とともに、大学の職員枠も減少していくことが予想される中、
協働や協創などと、悠長なことをいっていられない…ライバルとの競争は避けられない。
アカデミズムの世界もしかり、 そういうところだろうか。
難病に関しても、就労のテーマが将来ビジネスになるだろうからと、意見をもとめられることがあるのですが、そこに資本主義的な競争の仕組みを持ち込むかどうか
という猶予もなく、
既に持ち込まれようとしている
しかし、競争は品質の向上や、価格の低下、あるいは、innovationをもたらす可能性を含み、
むしろ歓迎すべきことなのではないだろうか…いよいよ、そういう方々が参入してきた
とも考えることもできるのかもしれない
そこを、我々がやってきたら‥と囲い込むことはナンセンス 多様な価値観も持つ人の介入により、多様な動きが盛隆していくのかもしれない。
しかし、ひとつ懸念することは、意思決定を行う小集団の中の事情等により判断が行われる、それがふさわしいテーマであるのかどうか…何が軸で判断がなされるのか…いわゆる
purpose的な部分が何であるのか、が利害や事情というあやふやなものの場合、
数社の事業者が既に入っている場合
公務に長く携わり、長短両面、その諸刃を考えてきました。
実際にそれがNPOであっても、権威ある大学の研究者がかかわっていても、皆の利害が一致ている集団となっているようなケースでは、
社会課題の改善が優先されるとというよりは、
事情や利害が先行しかねない
よくよく観察していないと、判断が難しい
より、重要な決定や流れを生み出すテーマには、そうしたパワープレイにより決定された集団の意向が全体に最適な状況を生み出すのかどうか…定かでない。
以前、国関連の会議のメンバーが、皆同じ県の職員だったことがある。
全国から選ばれるよう人選の中、なぜ、そのメンバーになったのか?という問いには、「知り合いだから」というようなことでした。
こんな重要な会議が、同じ地域で話しやすい、気心が知れているから決まっているんだなぁと、ちょっと不思議でした。会議の内容は、多くの患者の今後について、何かしらの影響をもたらす要因でことは明白だったからです。
競争によって引きおこされる反倫理的な経済行動や慣習は予想外に多い
その5つ(Schleifer.Andrei. 2004. Does Competition Destroy Ethical Behavior? American Economic Review.94(2), 414-418.)(行動経済学者のアンドレイ・シュレイファー)
児童労働・汚職・経営者の過大な報酬・企業の収益の操作(ごまかし)・大学の商業活動
競争よりは、協創や協働が好ましいと思ってるのですが、
福祉や社会課題を解決しようという装いをした競争福祉ビジネスは容易に見分けることは難しい
もしみわける観点があるとしたら