名前のない料理
もうすでにだいたいの定番料理が出揃っている。
いわゆる名前のある料理、肉じゃが、マルゲリータ、カルボナーラ、オムライス、カレーライスなどなど。
名前から具材や調理法を想像できるものもあれば、初見ではまったく何の料理かわからないものもある。
わからないものはその料理が生まれた土地の名前や、当時の状況や状態が料理名として冠されている。
本来なら名称がなくたって料理名は存在できる。
肉じゃがと言わなくても、牛肉とじゃがいもの煮物と呼べる。
マルゲリータと言わなくても、トマトとモッツァレラとバジルのチーズ焼きパンと呼べる。
カルボナーラと言わなくても、ベーコンとチーズと卵のパスタ黒胡椒風味と呼べる。
オムライスと言わなくても、チキンと野菜のトマト風味チャーハン卵とじケチャップがけと呼べる。
カレーライスに至っては、メイン具材と野菜のスパイス煮込みがけごはんと呼んだって間違いではない。
昔は新しい名前の料理が生まれていたのに、現代で生まれないのはなぜだろう。
極端な話、当店の鶏のレモン唐揚げという料理名を「宝塚揚げ」という名称にしてもいいわけだ。
宝塚揚げって何?から始まる会話の方がコミュニケーションが生まれる。
定番の料理に名称があるのは、もしかしたらそのような意図があったのかもしれない。
それを作った人たちの誇りとしての名称、団結するための理由、名前にはそんな力があるような気がする。
その線で考えていくと、現代で定番料理が生まれないのは人間関係の希薄さが起因してるのではないかと推測できる。
それに食に対する価値観も生活観も、多様化して細分化しているからだろう。
名称を掲げたところで誰も振り向いてくれない。
マーケティング的に市場を攻略しないと定着させるのはむずかしそうだ。
そんなことより料理は別に名前がなくたっていい。
基本的な構造は、食材と調理法の組み合わせだけでできているのだから、仰々しく考えるまでもなく、相性とバランスさえ把握しておけば料理は何なりと作れるもの。
肉や魚と野菜食材の組み合わせ、甘さと辛さ味覚の組み合わせ、硬いもの柔らかいもの食感の組み合わせ、相性や色の組み合わせ。
ひとつの料理はどれもパズルのようにピースの組み合わせで全体が構成されている。
名前がなくても美味しい料理は身近なところで無数に存在している。