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アウトプットしてみました

最近インプットしていることを書いてみようと思います。
ひとつの記事で流れがないので、いろんなところに話が飛ぶと思いますが、自分自身へのため(アウトプットすることも含め)綴ってみたいと思います。ではいってみよう。

自分は誰にもなれない。そう、自分であるから

大いなる存在から生まれてきた私たちは根っこは一緒です。そこから個として散らばってこの宇宙空間にいます。なので一つ、一人として同じ存在はいないのではないでしょうか。一卵双生児であっても性格などが違ったりしますよね。なので元々持っているもの以外の存在にはなれないと思います。
じゃ、「この性格を変えれないの?」「この癖は直せないの?」と思うかもしれませんが、自分はこう考えます。

「持っているものが全て表面化しているわけではない」

今この瞬間に見えているもの(身体的な特徴)や持っている性格は一部であって、目に見えないところに自分の情報がありそこから違う情報を引っ張ってくることができるのではないかと思います。
ここでの視点は、持っているけど出していないだけ。決して違う何かになろうとしていないことですね。現実創造をするときに思考、意識、感情がどこを向いているかが大切です。違う何かになろうとしている時は、不足感や欠乏感がどうしても入りやすいです。そこで、「元々持っている」という視点から考えることが大切だと思います。

自分と他人の物差しは尺度が違う(価値観が違う)

人は自分と同じ物差しを他人も持っていると思いがちなんだと思います。幸せはこういった形だからそうでない人がいると、自分の価値観を与えてきます。そこに選択権も与えず「○○しなよー」とか「××した方がいいよ」など。確かに常識に考えたらそうかなーって思ってしまうけど、そもそも価値観が違うじゃないかと思ってしまう。そもそも幸せは感じるものであって目に見えるものではないと考えているので相手の幸せをみてわかるわけではないとも思っています。幸せそうに見えても内心は物足らない、寂しいと思っている人もいるのではないでしょうか。
逆に、相手と接する時に気をつけないといけないなと思います。自分自身も自分の世界で話をしがちなので、知らず知らずに自分の価値観を押し付けているかもしれないからです。


何だかんだ最後は自分の「気持ち」が一番大事なんだと戻ってくる

色んな自己啓発やスピリチュアルの本を読んできたけど、「気持ち」が根底にあることを痛感しました。そもそもどんな感情で何をするか?が大切なので、何をするかは二の次になってしまうんです。これは自分の考え方なので悪しからず。例えが悪いかもしれないですが、いい行いをするときに「真心」を込めて行うのか「下心」で行うのかでは結果が違うのは想像できそうですよね。挨拶をするのもお礼をするのも、道を歩くことも寝ることも。何もかも「気持ち」が向かう先を決めてしまうことを認識して生活していくことを実践していきたいと思っています。
気持ちは常に意識していないと認識できないように思います。いちいち自分の立ち位置がどこなのかを意識し続けること。そして、ずれていたら修正をすることが生きやすい人生になることを信じて歩いていこうと思います。

ローマは一日にして成らず

地道にコツコツといきましょう。


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