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12.断片集、つぶやき集08 スラムダンクの河田は本当に優れた登場人物だと感じる、野辺に桜木の封じ方を示す

12.断片集、つぶやき集08 スラムダンクの河田は本当に優れた登場人物だと感じる、野辺に桜木の封じ方を示す




漫画、スラムダンクの河田は、実に優れた描写で描かれていて、河田にまつわる描写を思い出すごとに自分は感銘を覚える。
(ちなみに自分はまだ劇場版スラムダンクを見たことがない。漫画版の知識による。)

バスケットボール技術の習熟の「深化」は、河田の内面の「深化」を同時に引き起こしている。

例外はあるが、現実世界でも、スポーツなど何かしらの技術に親しみ、その習熟の深化を進める内に、その習熟者の内面も比例するように深化され、内面世界が拡張されていくことは多いように自分は考えている。

そうした、技術の深化と、内面の深化の連動というものが、河田において、実に見事に描かれている。

河田は、素人の桜木に何の偏見も抱いていない。
(桜木を素人と見くびる登場人物は作中に色々出てくるが、河田はそうした物の見方を持っていないようである。)

怪我をした桜木の不調による異変に気付き、試合の勝敗の有利不利を度外視した助言を桜木に対して発する。

河田は、桜木のジャンプ、着地、即座のダッシュ、の動きをまじまじと観察して、「あれだけのジャンプのあと、すぐにダッシュするのは中々できねえぞ、まあ、誰もそんなとこ見ちゃいないだろうが」という趣旨の感想を抱く。
「誰も見ちゃいない」ものを、河田だけは、心の眼で、じーっと、見ている。
そして、その感想は、最後まで河田一人の心の中にだけ記録されている。

赤木は、神奈川県内の猛者について(恐らく魚住や高砂など) 、「河田と比較すると赤子のように感じる」という感想を抱く。
河田の試合中の発言や振る舞いは、河田の内面の深さと広さを実によく描写しており、その点を尺度にすると、「神奈川県内の猛者たちが赤子に感じられる」 という言葉に、自分としても説得力と納得させる力とを感じる。




スラムダンクの河田が、桜木とマッチアップする。
河田は、桜木の攻略法を見出し、桜木のストロングポイントを無効化するには、「大事なのは、まず桜木を飛ばせないことだ」として、桜木がリバウンドのためにジャンプしづらい状況をつくる。結果、桜木はうまく有効なプレーができなくなる。

河田の桜木封じは無駄がなく見事なもので、桜木にいいようにやられてしまっていた野辺(ポール)は、ベンチに下げられていたが、河田の桜木封じを見て、「なるほど、そうやれば桜木を封じられるのか!」という具合に学習して、感心している。

単に攻略法を実行できるだけでなく、攻略法を見た者にも習得可能なレベルにまで咀嚼できる、というのは、一段水準が上の境地だと自分には思われる。
こういう現象について、「パッケージ化して、輸出できる」という表現が自分の中に思い浮かぶ。




友人が話していて印象に残った話。
語学など、何かしら勉強を集中して行って、1ヵ月ぐらいやったりする。
しかし、なかなかその成果が手ごたえとして自分に実感として感じられなかったという。
友人の場合、半年間位すると、不思議とその集中して行った勉強の成果が実感とか手ごたえとして自分に感じられるようになったらしい。
そういうことがいろいろなジャンルで感じられたらしい。

何か努力をしたときに、その成果が本当に自分の身に、手ごたえや実感として感じられるようになるのはタイムラグがあるようである。

成果が手ごたえとして感じられるのは、半年位経ってから後になってからかもしれない。
何か行動して、その結果特に変化が起こらなくても、気落ちせずに努力を継続することが大事なようであると話を聞いて自分は感じた。




知るものは言わず、
言うものは知らず。

という言葉は自分の心に何度となく浮かび上がってくる。
小林秀雄が書いていて、印象に残っている。




色々なニュース記事を見かけたり、耳にしたりするが、印象的なものは記録しておくようにするといいかもしれないと最近思っている。
覚えておきたいと思った記事など、大体が記憶に埋没してしまう。




最近、写真データの整理をしているけれど、ある程度の思い切りの良さが必要だということを感じている。
行き過ぎた思いきりの良さではなく、適度な思い切りの良さが必要だと感じている。

写真データの整理の作業は、ある程度まで進んできたけれど、中途半端なところでしばらく止まってしまっている。
他のことに気をとられて進捗していない。
近いうちに、ちょっと気合を入れて、思い切って作業を押し進めていきたい。




noteに投稿した記事の、文字数の合計量が、だんだん10万文字を超えそうである。

投稿した記事のスペアを保存しているメモアプリにて簡易に合計文字数を表示してくれるので、それで把握できる。
振り返ると、合計投稿文字数が3000文字とか5000文字とか、10,000文字とか、そのぐらいの時を振り返ると、自分の心持ちに変化を感じる。

「自分としては、これがこうなってほしい」とかいろいろ願望あってもコントロールできない事柄は多い。
スキの数や、フォロワーの数は、なかなか自分ではコントロールできないように自分には感じられる。

投稿する文字数が増えていく事は自分でそれなりにコントロールできる。
コントロールできることに集中するべきである。

合計投稿文字数が、気が早い話だけども、20万字になって、30万字になって、100万字となっていったら、また自分の気分や心持ちも大いに変わったものになっていくと思う。
その時はおそらく自分の文章作成の走行フォームのようなものも、今よりももう少しエネルギー効率の良いものになっていっているのではないかということを思う。

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OndokuAikouka(音読研究×小林秀雄散策)
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