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雑記68 集団の中の温度差とグラデーション、意外と一枚岩でない事。Uボート指揮官、豊玉高校、もののけ姫、ロンメル将軍
雑記68 集団の中の温度差とグラデーション、意外と一枚岩でない事。Uボート指揮官、豊玉高校、もののけ姫、ロンメル将軍
文字数2300ほど
1つ前の記事の、
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雑記67 トルストイの歴史観と、チャーチルの演説、個人は歴史という機械の前で動く木の葉に過ぎないのか
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において、触れたチャーチルの演説について、興味深い箇所があるので紹介したい。
チャーチルは語る マーティン・ギルバート編
河出書房新社
引用 329ページより
「ここで、この戦争の特徴について少し説明しよう。ドイツUボートの指揮官はときおり、人道的に行動しようと最善を尽くしている。彼らが十分な警告を発し、攻撃された側の乗組員を無事に港に返そうとするのを我々は目撃してきた。あるドイツ軍の艦長は、自分が撃沈したばかりのイギリス船の位置を私に直接伝えてきて、救助隊を送り込めと強く促した。彼の通信には「ドイツ潜水艦」と署名されていた。私はそのとき、返信をどこに送るべきか少し迷った。しかし、彼はいま我々の管理下にあり、最大限の配慮を持って遇されている。
とは言え、残忍で無慈悲な行為も多々行われてきた。まず「アセニア」の一件があり、続く「ロイヤル・セプター」への攻撃では、 … 」
引用終わり
引用部分 約300文字
イギリスは第二次世界大戦中にドイツと交戦している。上記の文言は、第二次世界大戦中にチャーチルが行った演説の中の言葉である。
この演説は第二次世界大戦の初期に行われたもので、上記で触れているような行動の仕方が、ドイツ海軍の人間の中に継続して現れていたかどうかというのは自分にはよくわからない。
あくまでこの時点に限って言えば、イギリスから見て敵であるドイツ海軍の人間の中に、こうした人道的行動を自らリスクを引き受けてまで行うものが割合多数いたようであった、と言える。
ドイツ軍の中に、敵方であるイギリス軍に対して、無慈悲な攻撃心を持つものもいれば、たとえ敵であってもその無惨な死を看過することはできないという心を持つものも、そのどちらもがいたようであった。
自分は、すでに長い年月が過ぎた過去のある出来事を観察する時、どうも物事が平板に見えてしまう傾向があるように思っている。
ある集団が行動していると、その集団は一枚岩となって結託していて、その集団を形成しているメンバーの一人一人が、皆同じ意見や考え方を持っていて、同じ方向を向いているものだ、と自然に考える傾向が自分にはある気がしている。
昔、身近なところに、「結託して、同じ方向を向いている人たち」と自分が認識している集団があって、それを自分は遠巻きに傍観していた。
あるときに、そうした集団のうちの2人と会食をすることになって、その時にその人たちの口から、「自分が所属している集団や他のメンバーに対して、拭いされない違和感や考え方のギャップを感じている」と言う話を聞かされたことがあった。
その言い振りから、その2人は集団に対して根強い不信感を抱いているようであった。
自分はその集団は、傍観者として見ていて、メンバー各々が何か似たような気質を持っていて、特に不満もなく、順調に運営されているものとすっかり思っていたので、そうした話を耳にして驚いたものだった。
漫画スラムダンクにて、バスケの名門校の豊玉高校が、湘北戦で、劣勢に立たされる状況になって、監督と選手の小競り合いが発生する。
その時点での監督と選手の関係は、決定的な決裂状態になっている。控えメンバーの1人は、今まで自分が所属していたチームは順調で調和したものと思っていたが、その時になって初めて、内部分裂が根強くあることに気づき、自分のチームが空中分解寸前である、というか今まさに空中分解していることに気づく。
その場面を自分は今連想して、思い出している。
構成員全員が、同じ方向を向いていると思えても、意外と各々の分子は、あちこち好きにいろんな方向を向いている、と言うことがある。
前に記事に書いたことだが、もののけ姫において、武士たちによって襲撃されて危機に瀕しているタタラ場や森の力になろうと、アシタカがタタラ場に接近しようとしているときに、武士たちの集団によってアシタカに対して攻撃が行われる。
弓矢で熱心に武士たちは攻撃してくるが、その時に年配らしい武士の1人は、アシタカの体の動かし方に「やるなぁ」などと盛んに感心し、味方が継続して弓矢で攻撃しようとすることについても、「やめとけ、矢の無駄だ」という。
攻撃に熱心な他の武士たちに対比して、攻撃へのガムシャラさがなく、敵に無邪気に感心したり、なんだか呑気な人間が敵方の中にいる。
自分はこの場面を繰り返し思い出す。
ある集団があると、構成員全員が同じ方向を向いているわけではなく、メンバーそれぞれが、好き勝手な方向を向いていることがある、ということを考える。
メンバーごとに共有している目的に対する温度差があり、思っている以上に内部にグラデーションが発生していて、多様性があるケースがある。
そういうことを最近考えている。
今、自分は、第二次大戦中の、おそらく陸軍の指揮を任されたロンメル将軍のことを思い出している。
この人物は、チャーチルの第二次世界大戦と言う著書の中でも取り上げられている。自分はそれを読んで、この人のことを知った。
このロンメル将軍は、ドイツ軍の上層部と、気質や考えの上で究極的なところで一致することがなかった、と言っていいようである。
「悲劇」という言葉を持って、この人物についての物語は語られているが、第二次大戦中のドイツ軍の中に、例えばこういう形で、「一枚岩でない」と言う性質が観察され、その内部のグラデーションがうかがえると自分は今思っている。
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