島根とロシアの関係(2000年~現在まで)その1:中古車貿易
新しいテーマとして、島根県と海外の国や人々との関係について、書いていこうと思います。
まずは、(自分の中で大きな部分を占めている国はロシアなので、まずはこれから書くべきと思う)島根とロシアとの関係について、2000年以降の出来事を振り返ってみます。
なお、地理的関係が深い極東ロシアのウラジオストクという日本海に面した港町に関する記述が多くなります。
また、現在は、ウクライナ侵攻の影響のため、ここに書いた出来事はいったん途切れているものがあります(続いているものもあります)。
全体としてはボリュームが多くなるので、項目単位で書き上げるたびに公開していくことにします。
まず、1項目めの「中古車貿易」を公開します。6項目も立てているで、1項目ずつ書きあげていって、完成させます。
なお、毎日新聞の記者の萱原健一さんの島根勤務時代の記事に、この中古車貿易の話題(をはじめ、今回自分が書く各テーマについて)が取り上げられているので、あわせて読んでみてください(各記事の全体を読むには有料の登録が必要のようです)。
1 中古車貿易
日本海に面したロシア極東地域では、2000年代以降、日本の中古車が町を走る車のほとんどを占めていました 。
新潟や富山の港から輸出された車が多いですが、浜田港(島根県)からも多くの中古車が、ウラジオストクという港町に向け輸出されていました。
対外的に閉ざされた歴史の長いロシアという国であっても港町ウラジオストク市民は、日本へ行ったことがある人が多く、その経験から、故障が少なく品質が高い日本車への信頼感を売りに、2000年ごろ、日本の中古車ビジネスを始める人が増え、貿易量も増えました。
浜田港の周辺では、輸出を待つ車が数百台規模でびっしりと並び、ウラジオストクからの貨物船に積み込まれていく姿も日常的なものでした。
車だけでなく、建材や食品などが一緒に輸出されることもありました。これらの商材は行政も輸出支援をしていて、自分も関わっていました。同じく、現地では、日本製製品への品質面の評価が高い印象でした。
このロシア向け中古車輸出ビジネスは、歴史的にも外部環境の荒波に翻弄されてきていて、ロシア政府の関税強化(右ハンドル締め出し)や日本政府のロシア向け輸出規制などにより、輸出台数は大きく増減しています。
最後に、当時のネット記事を参考に載せておきます。浜田の中古車輸出会社のエル・アイ・ビーの高橋社長(当時)へのインタビュー記事です。
【島根とロシア】