「自分と他人」を考える
今日も天気があまり良くなく、肌寒いですね。
あったかい夏が来たのかなと思ったら、まだまだ寒い春でした笑
何か肩透かしにあった気分ですよね。
天気や気温に差があると、風邪を引いてしまったりしますし、
こんな時期(コロナ)だと、病気になるのは怖いです。
ぜひ、皆さんもお体には気を付けてください。
さて、前回は、『「自分とは」を考える』を書いていきました。
今回は、「自分と他人」について僕の経験を踏まえて話していきたいと思います。
前回の話で、少し出てきたと思うのですが、
自分を考えるにあたっては、他人と比べないこと
自分とおしゃべりすること
これが僕の中では、大切でした。
そのあとは、どうしたのか?
自分とおしゃべりした後、、、
今度は、ほかの人とおしゃべりすることにしました。
ただ、これだけ聞くと、なんだ結局、そこに行きつくのか、、
と思う人もいらっっしゃると思います。
僕が言いたいことは、「ただ普通に他者と会話をする」ことではありません。
では、なにをするのか。
それは、自分とおしゃべりした時のように、他者とおしゃべりすることです。
会話をするのではありません。
あの子は何が好きなんだろう。あの子は何が嫌いなんだろう。
あの子はこんなことをしていたけどなぜだろう?
と、、
当然、本人と会話をするわけではないので、真実かどうかはわかりません。
けれども、相手が表現していることの背景へ自分が目を向けることができます。
なにがあの子をそこまで駆り立てるのか。そして、そこにはあの子のどんな思いや表現があるのか。
こういったことへ疑問を持ち始めると、
一つ大切なことがわかります。
「自分とほかの人にそんなに違いはないこと」
この気づきを実感できたことは、いじめで傷ついた僕の心を少し軽くしました。
なぜ、そう思えるのか。
人気者の「あの子」にも、僕と同じように「人」なんだと思えたからです。
人気者の「あの子」にも、大なり小なり「悩み」はあるし、同じように傷つくこともあります。
決して、スーパーマンではないのです。
だからこそ、本当の意味で「ほかの人とおしゃべり」してください。
僕も他人の目を気にして、顔色を伺って、殻にこもっていました。
おしゃべりなんてしようともしなかった。
けど、おしゃべりしたことで、自分では気づけない世界が広がっていました。
だからこそ、外に目を向けてみて。
みなさんは、人の痛みを知っている。
本当の意味で、「強い人」です。
「他人とおしゃべりする」ことで、少しでも前に進めたらうれしい
大丈夫。あなたならできます。
長くなってしまいましたが、ではまた。