IBSガス型の青春~いばしょがどこにもない~【前編】
お久しぶりです!おなら先輩です😊
今回は、高校時代おならが止まらず、
いばしょを求めてさ迷ったお話をしたいと思います。
結論から言うと、わたしが最終的にたどり着いた"いばしょ"は、
電車でした。
高校生のわたしは、
電車に4時間乗りっぱなしで、泣き続けていました。涙を拭く気力もなく、しくしく泣いていました。
今回は"いばしょ"にフォーカスを当てて、いばしょを求めてさ迷い、最後に電車にたどり着くまでのお話をお伝えできればと思います。
①学校(教室)
②学校(図書室)
③学校(トイレ)
④家
⑤電車
上記の5つにエピソードを分け、紹介していきます。
※長くなってしまったため、前後編でお送りします。今回は、①②③を取り上げます!
①学校(教室)
みなさんは、学校の全校集会で
おならをしてしまったことはありますか?
あるいは、してしまった人を見たことは
ありますか?
想像してみてください。
シーンとしている空間に、たくさんの人が集まっている。そこで鳴り響く『ブッ』という音、漂うおならの臭い…
クスクス笑うクラスメート。睨んでくるクラスメート。
してしまった瞬間、恥ずかしさと絶望から顔は真っ赤に、頭は真っ白になりますよね。
明日、学校に行くのが怖くなります。
もしも、全校集会でおならをしてしまった瞬間が、永遠に続いたらどうでしょうか?
普通の人なら耐えられないと思います。
私は耐えられず、心が壊れてしまいました。
教室は、全校集会のミニバージョンです。
常にシーンとした空間に人がたくさんいて、おならをすれば、個室ですから臭いがこもります。
最初のころ、私はわざと机や椅子をギシギシ言わせて、おならじゃないよとアピールしたり、何とか音を出さないように肛門を緩めたり締めたりして、ガスを徐々に抜いていました。
しかし、当然臭いは出ます。
次第に、周りの人の咳払いや鼻をすする音を
異常に気にするようになりました。
また、机や椅子がきしむ音まで自分のおならの音に聞こえてきました。
周りの人の反応が、すべて自分のおならに関係していると思えました。
常に冷や汗をかき、頭は真っ白でした。
そんな状態では、授業など全く頭に入ってきません。
少し居眠りをしてお腹の張りが解消されていようものなら、『寝ているあいだにおならをしてしまったかもしれない…!』と大パニックに陥っていました。
わたしは授業はもちろん、教室に入るのも怖くなり、朝の会や帰りの会も出なくなっていきました。
無断遅刻・無断欠席を繰り返し始めます。
②学校(図書室)
遅刻してきた私は、ひとまずトイレか図書室に行っていました。
図書室は、わたしにとって比較的リラックスできるいばしょでした。
シーンとしていますが、人はあまりおらず、席にもゆとりがあります。
周りに人がいない、空間的にもゆとりがあるという点で、教室より気が楽でした。
なにより、図書室の先生がとーっても優しい人でした。
わたしの高校は単位制で、大学のように『空きコマ』がありました。
みんなバラバラに空きコマがあるので、空きコマだから図書室にいるのか、サボっているのか分からないので、基本注意されません。
しかし、わたしは2時間目も3時間目も図書室にいたので、さすがにサボりだとばれます。
でも、その先生は優しく『授業ないの~?だいじょうぶ~?』と声をかけるだけで、決して追い出したりしませんでした。
なので、遅刻して学校に来て、一度も授業に出ず図書室で2~3時間つぶして帰るという、よく分からない登校パターンが少なくありませんでした。
しかし、良い先生だっただけに、生徒が図書室を利用しやすいように工夫し始め、人が増えてしまいます。
また、夜は不安で眠れなかったのでうたた寝がひどく、『寝てる間におならが出てしまったら…』という不安に取り憑かれ、図書室でも頭が真っ白になるようになりました。
次第に、図書室にもいられなくなりました。
③学校(トイレ)
ここは、わたしの永遠の味方でした。
下痢でも、おならが止まらなくても、何もなくても、トイレに入ると落ち着きます。
わたしの高校はトイレがたくさんあり、あまり利用されないトイレもあったため、小1時間閉じこもることもありました。
最初のころは、一旦心を落ち着けるための休憩室代わりでした。しかし、
教室にも図書室にもいられなくなると、次第に泣くためのいばしょに変わってました。
周りの視線が気になり、咳払いも鼻をすする音も恐ろしくてたまらない。
周囲の人に迷惑がられている、嫌われているという被害妄想で過敏な神経をすり減らす日々。
それに加えて、学校に行って授業を受ける、
普通の人が普通にできることが、
自分だけできない。
やるせなさ、苛立ち、惨めさ…
そういったものが涙になって溢れだし、小1時間トイレで泣き続けました。
ズタズタの心を癒すには、もう泣くしか方法がありませんでした。
また、教室では10秒に1回おならが出るのに、トイレに入ると何故かおならが落ち着いてたんですよね。
でも、外に出るとまたおならが出そうで我慢できなくなる。
このような、期待と絶望の行ったり来たりにも、心をすり減らされました。
こんな状態になっても、おならで悩んでいるなんて恥ずかしいし惨めだし、と思い、誰にも相談できませんでした。
また、こんなくだらないことで真剣になってくれる人はいないとも思っていました。
図書室にいるのも苦しくなってきたあたりから、死ぬことばかり考えていました。
高校の屋上から飛び降りる、トイレで首を吊るなど(ショッキングな表現ですみません)、
人生が終わって楽になる想像をしていないと、毎日生きていけなかったです。本当に苦しかった。
そして、こんなに苦しくても、わたしは家で休むことができませんでした。
当時のわたしには、安心できる場所でゆっくりすることが必要だったと思います。
それができたら、もっと早く回復できたと思います。
しかし、できませんでした。
それは、わたしにとって家の中は
もっと苦しいいばしょだったからです。
原因は、母親の厳しい対応にありました。。
※ここまで読んでくださり、ありがとうございました!続きは後編でお読みいただけます!
おなら先輩