オリンピック閉会式の"手話の人"から生じるハッピーに関する経験的妄想
TOKYO2020が幕を閉じた。
期間中にも色んな方々の努力があって、開会式にはなかった"手話通訳"がNHKのEテレでの放送において画面に登場した。
Twitterでは「手話の人」が話題のフレーズになり、盛り上がっていた。
この出来事に関して、ろう通訳やその仕組み、ろう通訳と手話通訳が画面に並んだこと、これに至った経緯等など知ることができたので書きたい気持ちがあるが
自分の生い立ちや経験から、何より一番感じたことがあった。
それはホントもう、まじで、閉会式、両親とみたかった。(ちょうど、帰省自粛した!)
絶対オトンはビール飲みながら青のランニングシャツで観てた。手話通訳付きで楽しんでいたと思う。
オカンは絶対、最初は興味ないけど、オトンが一生懸命観てるから横に居たと思う。椅子の向きまで想像がつく!
同時に思った、「両親と一緒にみている人」いるんじゃないかな?!
それってすごくない?!
僕の両親は聞こえない人で、僕は聞こえる人、妹二人も聞こえる人。
僕は生まれてから、両親とコミュニケーションをとるため自然に手話を獲得した。
そこから、学校では声(日本語)で話し、家庭では手話で話すという二言語を行き来するような生活を送っていた。
そんな僕の子ども時代の特別な体験が、オリンピック閉会式の画面を見て強烈に思い起こされた。
それは長年フジテレビの人気番組だった「めちゃイケ」のプロレス
そのとき僕は小4くらいだったかな?
テレビをみて、ホント、父親と一緒に涙が出るくらい手を叩いて笑った。
おもろい化粧をしたレスラー(極楽とんぼ・加藤)が相手にグルグル回されて、味方をチョップしてしまう!!
そこに手話通訳や字幕があったわけではない。ただ、情報のほぼ全てが視覚的なもので、たまたま一緒に楽しむことができた。
思えば、父親と一緒に大爆笑する初めての機会だった。
もちろん日常生活で笑うことはたくさんあるが、プロが創作した笑いを一緒に楽しんだのが初めてだった。
それから僕は、テレビ欄を毎週見て「今週のめちゃイケはプロレスかどうか」をチェックした。
オトンと僕はそれからプロレスにハマり、蝶野正洋にガチ惚れしていた。何度も観戦に行った。あの熱狂は、忘れられない。
明らかに、これまでオトンと僕で交換してこなかった感情や、オトンの違う一面を知ることができたキッカケだった。
そんな素晴らしいことが起きる前までは、テレビが僕たち親子をつないでくれるなんて想像もしなかった。むしろテレビや映画は、両親と僕の身体的な違いを決定的に示し、陰を落とすような存在だった。
ほとんどすべての友だちが家族で映画館に足を運んでいた(気がした)「もののけ姫」は、うちの家族は一緒に行くことはなかった。日本語の映画に日本語の字幕がつかないことは、あたりまえだった。
NHKの連続ドラマ小説、いつもお母さんは自宅の特殊なテレビ(?!)で字幕付き観ていたが、旅行先にはそれがない。悔しがる母を見て、妹と僕が交代でテレビの横で手話通訳(オリジナル手話炸裂)をした。
両親にとってテレビは、画はあるけど音はない、きっと僕が思うテレビとは違う存在なのだろうと思う。
でも、今回、視聴率46.7%を記録した閉会式に手話通訳はついていた。僕と同じような家庭に育つ子どもで、両親と一緒に観た家庭があったんじゃないかな?これを思うに、胸がときめく。
一緒に同じものをみてワクワク、ドキドキ、心が動くことって、素晴らしい価値がある。もう、それ自体が人間の関係性の深まりだと思う。
プロレスを観るのとは話がちょっと(だいぶ)違うけれど、オリンピック選手がスポーツを通じて打ち解けていたあの光景のように、テレビの前であの手話通訳をみて打ち解けた何かがあったんじゃないかな。
上に書いたことは僕の妄想ですが、手話通訳付きの閉会式が放送されたのは事実で、この出来事を起こしてくださった方々へ心から感謝です。そして、新しいあたりまえに向かっていくために自分も頑張っていきたいです!!
バットとグローブを買います。