夏の自由研究「折衷醴酛のつくり方」
清酒を造る上で酛立て(酒母造り)というのは重要な工程です。
この工程で酵母のスムーズな増殖がないともろみで健全な発酵を行うことができませんし、また酛立ての方法によって酒の味わい自体も変化します。
例えば「山廃酛は酵母力強い味になりやすい」や「高温糖化酛は酵母の純粋培養に適した手法だから、大吟醸などすっきりとした酒を作るのに向く」などといったように、酛の立て方如何によって酒の味の方向性を左右することだってあります。
そのため、酒のラベルに「〇〇酛」などという文言がまるで売り文句のように記載されたりもします。
しかし、酛の立て方について改めて考えてみると、製造現場にいる人間にとってさえ全貌をつかむことが難しいと感じるほど、多種多様な方法があって、生酛一つとっても「秋田式生酛」「新政式生酛」「酵母無添加」「乳酸菌添加」…と工程の違う無数のバリュエーションがあるわけです。
酛について考えていくうえで、これらのマニアックな差異を拾い集めていくことはおそらく本質的ではないな、と個人的には思いました。全体像を把握するうえで考えるべきは、「どのような手法で造るか?」ではなく「どのような目的でその手法をとっているのか?」なのではないか、というわけです。
機能面から見た酛立ての分類
教科書などでよく見る酛の分類は、育て酛系(生酛、山廃酛、菩提酛など)や速醸系(普通速醸酛や中温速醸酛、高温糖化酛など)と言ったように、造る工程の違いのよって分けられる場合がほとんどだと思います。
しかしここではあえて、「どのような手段で酵母の純粋培養を図っているのか?」という機能の面から酛を見ていきたいと思います。
例えば、クラシカルな酵母無添加生酛の場合、
・雑菌の増殖が遅い冬季に(低温)」
・米を老化させた上、低い汲み水歩合で酛摺を行い(濃糖圧迫)
・まずは仕込み水由来の硝酸還元菌が亜硝酸を生成する(亜硝酸)
という工程で、乳酸菌が乳酸が生成するまでの間、雑菌の繁殖を防いでいます。その後、
・ダキ入れによって低温を保ちながら乳酸菌の増殖を図り(乳酸)
乳酸が発生して酵母のみが増殖可能な環境が整ったら、温度を上げて酵母の増殖を導く、という形になります。
同じように、高温糖化酛について考えてみると
・55度前後の高温で仕込むことにより、米の糖化と雑菌の淘汰を図り(温熱殺菌)
・米が糖化したら急冷し、醸造乳酸を投入(乳酸)
・純粋培養酵母を投入する(酵母の大量投入)
といった形で酵母の(ほぼ)純粋培養を導いています。
クラシカルな生酛では、雑菌汚染は常にありうるものだという想定のもと、幾重にも重ねられた冗長性によって安全を担保しているように見えます。
一方高温糖化酛では、温熱殺菌(パスツーライゼーション)と醸造乳酸の添加、純粋培養酵母の使用というラディカルな手段で速く安全な酛造りを可能にしています。
他の生酛系や速醸系で雑菌の増殖を防ぐ手段がどう機能しているか、とみても(白・黒麹を使ったクエン酸利用の酛は例外として)おおむね上記のうちに分類できるのではないでしょうか。
育て酛、速醸酛ともに「乳酸によってphを下げて、他の雑菌の増殖を防いだうえで、酵母の優先的な増殖を図る」という点では共通しています。
酛立て工程の上では「醸造乳酸を使うか、それとも乳酸菌を育成して乳酸を作るか」という点に意識がいきがちですが、実はどちらにしても乳酸という機能面では同じことだと言えます。
しかし、それ以外の部分で雑菌を防ぐ機能が異なっている、というのが注目したい点です。
高温糖化山廃酛(酸基醴酛)を造ったことはありませんが…
ここまでクラシカルな生酛と高温糖化酛を対比してきて気になるのが、最近たまにその名前を聞くことが増えてきた高温糖化山廃酛(酸基醴酛)の存在です。
高温糖化山廃酛とは
・55度前後の高温で仕込むことにより、米の糖化と雑菌の淘汰を図り(温熱殺菌)
・米が糖化したら急冷し、乳酸菌を投入(乳酸)
・純粋培養酵母を投入する(酵母の大量投入)
という手順で酛立てを行います。
醸造乳酸を使うか乳酸菌を使うかの違いを除くと、高温糖化酛と仕込みの工程はほとんど共通していますし、雑菌を防ぐ機能としては同じと言っていいでしょう。
高温糖化山廃酛を実際に自分で仕込んだことはないので、実際のところは分かりませんが、通常の高温糖化酛を仕込んだ経験から想像すると、この方法にはいくつかのメリット・デメリットがありそうだな、と感じました。
まず、最初に温熱殺菌を行うことはクラシカルな生酛には無い安全策です。
日本酒の造りは伝統的に開放発酵であり、純粋に酵母菌のみで醸すことは考えられておらず(そもそもコウジカビの関与なくして酒は造れないし)、一定程度の微生物の混入を見越した上で、酵母が優先する環境を整えてあげてもろみの健全な発酵を行うという総合的な技術体系になっております。
特に麹造りの工程は(全自動製麹器のようなものを使えば可能かもしれませんが)無菌的に作ることは難しく、麹から持ち込まれた雑菌をいかに抑えて酵母を優先的に増殖させるか、が酒造りの最初のステップと言っても良いかもしれません。
伝統的な生酛では「低温」「濃糖圧迫」「亜硝酸塩」で雑菌の増殖を防いでいますが、高温糖化では初手で温熱殺菌を行う事で雑菌の数自体を減らすことが可能になります。
ただし、高温で殺菌した後に再び雑菌の侵入と増殖が起こらないよう、一気に温度を下げる必要があり、この際の降温操作がなかなかの重労働である上、冷却管や櫂入れを行うために結局開放的な環境にさらされてしまう恐れもあります。また、仕込みの都合上酛の水分量が多くなるために、生酛と違って濃糖圧迫による静菌はありません。通常の高温糖化酛であれば乳酸の添加によって雑菌数の少ない環境を維持することはできるでしょうが、高温糖化山廃の場合はより気を使って清潔に仕込まないと、添加した乳酸菌が増殖して乳酸が生成されるまでの間はむしろ微生物汚染のリスクが高まるのではないかな? と思いました。
実際にこの方法で仕込んでいる御蔵もたくさんあるわけなので良い方法なんでしょうが、ここにもうひとひねり加えてより安全に乳酸菌の育成できる手法がないかな? というのが今回の実験の本題になるわけです。
折衷醴酛という実験
高温糖化山廃酛のメリットは「熱によって(主に麹由来の)雑菌を殺菌できること」「糖化が早く酛立てが早くできること」
デメリットは「仕込みがやや大変で特に糖化後の温度下げる操作が大変」「糖化後はほぼ無菌状態だが醸造乳酸を添加しない場合は雑菌汚染のリスクが高まる」
みたいな点だと個人的には感じました。なので、高温糖化による「温熱殺菌」を行いつつ、伝統的な生酛の「低温」「濃糖圧迫」も組み合わせて乳酸菌が増殖するまでの間の安全性高める折衷法を考えてみました。
具体的に手順を述べると(100kg酛の場合)
麹 34kg
蒸し米 66kg
仕込み水 100kg(内55kgは氷)(汲み水歩合100%)
として、
1 麹34kgと温湯40kg(配合は適当。いわゆる麹甘酒の作り方を検索して標準的なレシピを参考にした)を合わせて55℃に仕込み、8~10時間保温して糖化させる。
2 糖化が終了したら(醸造乳酸無添加の場合は)残りの仕込み水(氷)と共に乳酸菌を入れて温度を下げ、(醸造乳酸添加の場合は)30℃以下に品温下がったら醸造乳酸添加。その後頑張ってなるべく0℃近辺まで品温を下げる。
※ 乳酸菌の耐熱性が
3 掛け米を蒸して荒息を抜き、(雑菌の繁殖が起こりにくい)品温50℃程度で仕込み。水麹温度3℃の場合、計算上は仕込み後の品温が12℃程度になる。
4 打たせで品温を10度以下まで下げ、後は通常の生酛の前ダキ期間と同様。乳酸が十分出たら酵母添加する。
高温糖化山廃(酸基醴酛)と普通生酛で利用されている、「温熱殺菌」「低温」「濃糖圧迫」「酵母の大量投入」を折衷する形で取り入れているので、ここでは便宜的に「折衷醴酛」という名前を付けておきます。
通常の高温糖化山廃や生酛との違いは、最初のステップで麹のみを高温糖化させる点。蒸し米は蒸気によって殺菌されているため高温糖化によって殺菌する必要はない。麹のみを糖化することで物量が通常の高温糖化酛の三分の一程度になり(糖化時の品温の保持はやや難しくなるが)、糖化終了後に温度を下げるのが格段に作業は楽になる。
高温糖化では品温低下させるため櫂入れを行ったりする都合上、流動性を作るために組み水歩合160%前後の多めの水で仕込むが、折衷法では先に麹を甘酒にして流動性は出ているので、掛け時では通常の生酛程度の汲み水歩合でも仕込める(はず)。仕込み温度も低いため、乳酸菌の増殖によって乳酸が生成されるまでの間、濃糖圧迫と低温による効果で雑菌の繁殖が抑えられる(はず)。
高温糖化で最も労力を要する品温下げる操作と、生酛で最も労力を要する山卸を省略できるであろう点はメリットになるんじゃないかな? と思います。
工程全体を俯瞰すると、高温糖化と比較すれば仕上がりの早さを捨ててますし、生酛と比較するとただでさえ手間のかかる生酛に高温糖化のワンステップが加わるという、一見中途半端なものにはなります。
しかし、最近なんだか意識されるようになった気がする「醸造乳酸を使わないことが目的で、乳酸菌の涵養によって酸度を出す」という用途ならば、高温糖化山廃初期にある雑菌汚染のリスクを減らせる上、生酛初期の何が入っているかわからない微生物のビックリ箱よりも再現性は出やすいんじゃないかな、と。
あと、どれほど効果があるのかは分かりませんが、速醸や高温糖化山廃に比べると中性プロテアーゼの効果によって、アミノ酸が出やすいので味のふくらみも出るんじゃないですかね、知らんけど…
生酛や山廃の仕込み時には汲み水詰める場合が多いですが、先に全麹甘酒にしておけば流動性がでるから、同じ水分量同じ仕込み温度でも(たぶん)櫂入れがしやすく、酛摺や荒櫂も省略できないかな? という期待もあります。
「櫂でつぶすな甘酒で溶かせ!」
また、保管温度や期間による影響は未知数なのですが、折衷法の初段で作る「乳酸菌添加全麹甘酒」を、タンクで仕込むのではなく密閉可能なプラスチックバッグで仕込むとすると、雑菌侵入の可能性を下げられるだけでなく、作った甘酒を袋ごと冷凍することによって(この工程で添加した乳酸菌の死滅や酵素の失活が起きなければ、ですが…)育て酛の仕込み工程を大幅に短縮することもできるかもしれません。
例えば、密閉できるビニール袋に十キロ(麹五キロ水十キロ)単位で甘酒作っておいて冷凍。
使用時には冷凍庫から仕込みに必要な量だけ甘酒を取り出して、水と共にタンクに投入し、50℃程度の掛け米を投入すれば酛の仕込みは完了します。
時間的に余裕のある夏場などに、造り時期に作って保管していた冷凍麹を使って甘酒作って冷凍して置き(販売用の甘酒ではないので、瓶燗機等を使って湯煎すれば簡単に作れると思います)、造りが始まると順次使っていく、みたいな形にすればかなり育て酛の仕込みの安全性を高めた上で省力化できるんじゃないか? とか思いました。
小仕込み実験でやってみたい事
アイディアは順列組み合わせなので、僕が考えて思いつくようなものは長い日本酒造りの歴史上で既に誰かが検討していたか、試作したうえで失敗したことなのかもしれません。
ただし「醸造乳酸を使わないことが目的で、乳酸菌の涵養によって酸度を出す」あと生酛系でネックになりがちな「外気温に関わらず早湧きが起こりにくく再現性高めに乳酸菌の純粋培養を行う」のための手段と限定すれば、それなりに面白い手法な気もします。
実験を行う上で検証してみたい事は
・そもそも全麹甘酒+高温掛けで雑菌を殺せるのか?
・糖化後の甘酒の酵素が失活せず、糖化及びタンパク質分解が十分に可能なのか?
・糖化後に乳酸菌を添加するタイミングと、(特に高温糖化山廃や乳酸菌添加生酛と比較した場合の)乳酸菌の生育具合。
・甘酒を冷凍した後でも酵素や乳酸菌の生存率。
などですかね?
実践投入できるレベルまで厳密に調べようと思うと、家庭のキッチンでやれる領域超えてる感じもしますが、暇な時間を見つけて実験してみたいと思ってます。