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「カラビ=ヤウゲート 深淵の悪魔」/第二十話
中継映像をモニターでチェックしていた紅林は、いち早く異変を感じ取った。恋河原が、応接室に入ったとたんに身じろぎもしなくったのだ。カメラは立ち尽くす恋河原から、窓辺のソファに向けてゆっくりとパーンする。
そこには、なにものの姿もない。
だがカメラは、誰も座っていない一人がけのソファに向かってズームしかけて止まる。ズームをするな、という指示を思い出したのだろう。緩やかにズームバックし、引き切ったサイズに戻る。
「なんだ?・・・なにかを、見てるのか」
カメラの端に映り込む恋河原は、亡霊でも見ているかのようにフリーズしてしまっていた。
「おい、動け!動かないと間に合わん」
時刻は午後6時41分。紅林は噛みしめた歯の隙間から言葉を絞り出す。その直後、静まり返った現場音の中に、荒い息遣いが聞こえ始めた。
「ひー、おいおいみんな、移動が速すぎるんだよ。最重要人物を置き去りにするんじゃないよ、まったく」
堀川の胸元につけているワイヤレスのピンマイクが、彼の声を拾っているようだった。
「先輩!」
紅林は副調整室で我知らず叫んだ。
「頼みます、どうにかしてください!」
☆☆☆☆☆
「なんだなんだ、みんな固まっちゃって。どーしたんだ」
堀川は恋河原に近寄り、声をかける。
「し、下柳さんがそこに・・・」
「はあ?何を言ってるんだ。我々以外誰もいないじゃないか」
「そんな!確かにそこに。あの、下柳さん!私たちどうしたら・・・」
「おいおいおいおい。と、並みのサイエンティストなら驚くところだがな、私はこんなこともあろうかと用意してきたんだよ、これを」
言いながら堀川はスマホを取り出し、カメラに向かって説明を始める。
「見てくれ。これはスマホを使ったサーモグラフィーだ。こうして、起動する。あー、このように美穂ちゃんは体温が検知され、赤と黄色で画像表示されている。だがね、そのソファのあたりか?スマホを向けると・・・画面は真っ青なままだ。すなわち、そこには生命体はおらん。ほれ、美穂ちゃんも見たまえ!」
おそるおそるサーモグラフィーを覗く恋河原。現場とスマホを見比べる。そののちに憑き物が落ちたように顔に血の気が戻り始める。
「じゃあ、この下柳さんは本物じゃないんですね!?」
「何だか知らんが、私には見えん。・・・だがまてよ、これはなんだ?」
堀川はサーモグラフィー・スマホを部屋の隅に向ける。
「ほれ、カメラマンも、美穂ちゃんも見るんだ。私の目には誰もいないように見えるあの場所に、サーモグラフィー上では誰かが横たわっているように映っている。だが、温度はかなり下がっているぞ」
「そっちが本物の下柳さん!?先生、これはいったいどういうことなんですが?」
すでにカメラの存在を忘れているらしい恋河原は、この建物に乗り込む前の気合はどこへやら、我を失っているようだった。
「そんなこと、私がわかるわけないだろう!君が下柳さんを救うんじゃないのか!!」
堀川は脳の血管が切れるのではないかと、見ている側が心配になるほどの全力でブチ切れていた。それは、わからないことを『わからない』と認めざるを得なかったことへの怒りと、恋河原へ活を入れたい気持ちとが合わさった、魂の咆哮だった。
瞬間、恋河原の目の焦点が合い、うつろな表情が消える。
「・・・ホームランですよ、先輩!感謝です」
副調整室の紅林は無意識のうちに、安堵のつぶやきを吐き出した。周りのスタッフも恋河原の目に光が戻ったことに少し安心したようだ。
「失礼しました。改めて状況を説明します。といってもご理解いただけないかもしれません。が、ぜひ最後までこのチャンネルをご覧ください」
カメラに向き直った恋河原は、一度ゆっくりと周囲を見回した後で、落ち着いたトーンでしゃべり続ける。
「すみません、先に業務連絡です。さきほど、堀川先生がサーモグラフィーを使用した直後から、ゲートに細かな振動が見えます。『怪異』が『情報』として伝わり始めた反応だと考えます。・・・中継を続けます」
恋河原は、部屋の隅に近寄る。
「さきほどのサーモグラフィー上で、誰もいないこの空間に人影らしきものが映りました。説明すると長くなりますので省きますが、その人物を、みなさんのテレビ画面でも見えるようにこの世に呼び戻します!」
右手に持っていたハンドマイクを狭山に手渡すと、恋河原は眼前に両手を組んで瞑想をはじめた。
☆☆☆☆☆
「おい、なんか光ってるぞ。なんだあれは!?」
OA宅に座っていたディレクターがそう叫んで立ち上がるのと同時に、北都テレビの副調整室は騒然となった。
現場の中継カメラは、その小さな光の点が、次第に輪のように広がり始めるさまをしっかりと捉えていた。
<続く>