ショートショート 「信号を守らぬ男」/おせっかいな寓話
信号を守らない男がいました。男は自慢げに言うのです。
「俺は基本的に信号は守らない。守る必要がない。俺は渡りたいときに道路を渡り、これまで一度も車にひかれたことはない。自己責任でうまくやれている」
しかし、男が無事でいられたのは、通りがかった自動車が急ブレーキで止まってくれたり、周囲の人が見かねて男の袖をつかんで引き戻してくれたりしたからなのです。
ですが男にしてみれば、自分が渡りたいときにやってくる自動車は邪魔者でしかなく、袖をつかむ周囲の人々は妨害者でしかありませんでした。
「そもそも、交通ルール自体が無用なのだ。車であれ、徒歩であれ、人間はもっと自由気ままに往来すべきだ。」
男は時が経つにつれて自信を深め、より危険なタイミングで道路を横断するようになり、ついには、自動車と接触してケガを負いました。
ほんのかすり傷でしたが、男は大騒ぎをして救急車を呼び、病院への搬送を要請。駆け付けた救急隊員は強弁する男を置き去りにもできず、救急車に載せて病院へ移動し始めました。
救急車はサイレンを鳴らし、赤色灯を回転させながらも、制限速度を守って進みました。
「なんで制限速度なんか守ってるんだ!もっとスピードを出せ!」
救急隊員は無言でしたが、心の中ではこう思っていました。
(お前みたいなバカがいつ飛び出してくるかわからんからな。ソイツと接触でもした日には、俺たちの仲間が無駄働きで嫌な思いをすることになる)
人を救うために日々つくしてきた救急隊員でしたが、この男には最低限のサービスしか提供しないぞ、とこの時、心に誓いました。
信号を守らぬ男はいつのまにか、あらゆる場面で最低限のサービスしか提供されなくなりました。
信号を守らぬ男はある日、信号無視の車にはねられ、瀕死の重傷を負いました。救急車が呼ばれ、やってきたのは、信号を守らぬ男には最低限のサービスしか提供しない、と誓った救急隊員でした。救急隊員は淡々と、冷静な様子で男の搬送作業を進めました。
「おい、なぜもっと大急ぎで対応しないのだ。俺は死にかけているんだぞ!」
苦しい息の合間に叫ぶ男に、救急隊員は言いました。
「決められた手順通りに進めています」
救急車はサイレンを鳴らし、赤色灯を回しつつも制限速度を守って病院につきましたが、時すでに遅く、男は医師の手で死亡が確認されました。
医師はいいました。
「もう少し早く診ることができたら、命を救えたかもしれない」
救急隊員はいいました。
「運が悪かったですね。ま、自己責任でしょう」
<終>