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ショートショート「対等な二人」/おせっかいな寓話

『これから行ってくるよ』

唯一、親友と呼べるハルカにLINEを送る。時を置かずに既読マークがつくが、返信はない。やはり怒っているのだろう。意味がないからやめろとさんざん諭されたのに、来てしまったのだ。

納得がいかない。ただただその思いで、私はここに立っている。こことはどこか。先日まで同棲していた元彼の家の前である。チャイムを押すと、仏頂面したトシキがドアの隙間から顔を出し、はいれよ、といわんばかりにアゴをしゃくった。

ズカズカとあがりこんだ私は、持参したスーツケースを開き、ものも言わずにクローゼットの服を詰め込み始めた。なんならこのまま一言も交わさぬまま、自分の服をすべて回収してさっさとこの部屋を後にしたかったのだが、そうはいかなかった。

「お前さ、失礼にもほどがあるだろ。挨拶もなしに服とか詰め始めてよ。まず詫びがあるべきじゃないのか」

「詫びって何?もう別れて2か月たってんのに、詫びも何もないでしょ」

極力、話さなくていいように目を合わさずに作業を続ける。

「はー?別れてねーし。もううちの親には結婚するって伝えてんだよ。いまさら何言ってんだ」

「いや意味わかんない。だいたいこんなやり取りしてる時点で、もう破綻してるでしょ!」

どうしてこうなってしまったのだろうか。油断すると目からあふれそうになる涙を必死でこらえながら、またそう思ってしまう。

5つ年上のトシキとは、2年前にバイト先の居酒屋で知り合った。いつも明るくて、丁寧に仕事を教えてくれたり、プライベートの悩みを聞いてもらったりするうちに付き合うようになり、数か月が経つうちにはぼんやりと結婚のことも考え始めたりしたのは事実だ。

しかし1年ほど前に同棲を始めたところで事態は一変した。一緒にいる時間が長くなるにつれ、なぜかトシキの態度は横柄になり、辛辣になった。私の家事・炊事のスキル不足が彼をいら立たせていたようなのだが、結局のところ彼の母親と比べられていたのだということがわかったのは、ついこのあいだのことだった。

「人が話してんだから、顔を見ろよ!」

その言葉で、過去に飛んでいた私の意識が引き戻される。好きだと思っていた人をこんなにも憎く感じるのだから、人の心とは不思議なものだ。私は意地になり、一層スピードをあげて服を詰め込んだ。

バシッ!

そんな音とともに、ふいに後頭部に強烈な衝撃を受け、私は前につんのめって倒れこんだ。

「イタっ!」

左ほほに焼けるような痛み。反射的に左手で触ると、指先に血がついた。クローゼットの金具か何かで左ほほに擦り傷ができたのだ。

「なんだよ、大げさに痛がりやがって。どうせ芝居だろう!」

「ふざけんなこの野郎!女の顔にキズつけやがって!死にさらせ!」

・・・と、怒鳴りつけてやりたかったのだが、人間、怒りが頂点に達した時には言葉が出ないのだということを、私はその時に初めて知った。もうどうでもいい。持ち込んだスーツケースもそのままに、私は玄関に走った。いつの間にかかけられていたチェーンキーを、ゾッとしながらを必死で外し、はだしのまま外へ飛び出した。

「おい、リョウコ!待てよ!もう電車だって間に合わねーよ。戻れよ!」

背後からそんな声が聞こえたが、振り向いたら負けだと思った。その時、右手から車のヘッドライトが近づいてきた。カーキ色のミニバン。運転席にいるのは・・・ハルカだ。

「乗って!」

助手席のドアが開き、私はその隙間に体を滑り込ませた。ドアを締め切るよりも先に、車は動き出していた。

ハルカも私もしばらくの間、無言だった。

「言わないの?」

「・・・」

「だからやめとけって言っただろうって」

「・・・傷」

「?」

「顔の傷、痛む?病院に行った方がいいかも」

「かすっただけ。でも、あとは残るかも」

もうダメだ。そう思った瞬間に涙が両目からあふれ出していた。私はしゃべることができなくなり、嗚咽し続けた。

気づくと車は埠頭近くの海浜公園に止まっていた。車のエンジンを切ると、ハルカは前を向いたまま、意を決したように話し始めた。

「ずっと親友だっていってたけど、俺、もう自分に嘘はつけない。俺、リョウコのこと、守りたいんだ」

「・・・ハルカ」

「友達でいられるなら、そばにいられるならそれでいいと思ってきたけど、こんな目に合うリョウコをただ見ているだけなんて、もう耐えられない。振られてもつきあっても、男と女の関係になればいつか別れる時が来るかと思うと、怖くてたまらなかった。でも、もうそんなことを言ってる場合じゃない。あの男と完全に縁を切るためのウソでもいい。俺とつきあってくれ」

男とか女とかを越えて、子供のころから親友だと思っていたハルカの心の中に、そんな思いがあったなんて。いや、嘘だ。私はうすうす気づいていたのだ。そして、こうなることをどこかで待ち望んでいたのかもしれない。

「私、ハルカが思ってるような女じゃないよ。ズルくて、汚くて、自分のことばっか考えてるイヤな女なんだよ」

「知ってる。だけど俺だって、意気地なしで優柔不断なダサいヤツなんだ。」

「・・・知ってる」

「正直さ、俺、あの男をぶん殴ったり、リョウコの服を取り返したりなんてカッコいいことはできそうにない。だけど、俺なりにリョウコのことを大事にしたい」

「ダメだよ」

「え?」

「アタシだってハルカのこと、大事にしたい。だから、お互いに対等じゃなきゃダメだよ」

気がつくと涙はもう止まっていた。照れ隠しで私は言った。

「あーなんか、おなかすいた。ラーメン食べに行こ!」

「こんな時間にやってる店、あったっけ?」

いいながらハルカはエンジンをかけた。これまでも2人でラーメンを食べに行ったことはあったけど、きょうからは味も少し違うように感じるかもしれない。そんな気がした。

<終>

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