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「クジラはなぜ、陸にむかうのか」(中)/連作短編「お探し物は、レジリエンスですか?」

<松之介さんコラボ企画>

「陸の生き物になろうとしてるんじゃないっすか」

カメラマンの大滝は、高身長の体を折り曲げるようにして運転席におさまっている。助手席の有村としては、学生時代はバスケットをやっていたという彼の窮屈そうな姿が不安でたまらないのだが、本人は苦にはしていないようだ。

「『進化論』ってあるじゃないスか。クジラたちにとっては海が住みにくくなったんで、いっそのこと陸に適応しよう、みたいなことなんじゃないっすかね」

「B級ホラーとしては面白いね」

「いやいや、もっと高尚っすよ。レイ・ブラッドベリの『霧笛』のイメージっす」

「進化ってさ」

有村は窓の外の海岸線に目をやる。

「結果だと思うんだよね」

「結果、っすか?」

「小さな小さな変化が時間を経てどんどん積み重なってさ。で、ある瞬間から過去を振り返ってみた時に『あれ、なんか進化しちゃってた』みたいな、結果論としての『進化』。だから、命がけで急な進化を目指すってのには違和感があるかな」

有村が再び運転席に目を戻すと、大滝はアヒル口になりながら唸っていた。考え事をする際の癖なのだろうか。

「・・・難しいことはわかんないんすけど、ガッツがあればいつか、陸の生き物になれるんじゃないっすかねー」

「クジラって、元をたどれば陸の生き物だったって話を聞いたことあるけどな」

「あちゃー、出戻りっすかー。キツいっすね!」

出戻りってなんなんだ、と有村は思ったが、スルーすることにした。その後、2人とも無言のまま車は走り続け、15分後に目的地に到着した。

「じゃ、悪いがここで待っててくれ。小一時間くらいかな?」

「さっきコンビニあったんで、コーヒーでも買ってきますわ」

言い残して、車は遠ざかっていく。


海洋技術大学の教職員棟4階の隅に、目的の部屋はあった。「Prof:Sakakibara」のプレートの下をノックで叩く。

「・・・どうぞ」

「失礼します」

有村は扉を開き、中を覗き込む。窓を背に座るひとりの女性。その前には大き目のデスクにのったデスクトップのパソコン。

「どちらさま?」

年のころは50代の半ばだろうか。グリーンのブラウスの上に白いカーディガンを羽織ったカジュアルな姿だが、細身でどこか気品を感じさせる女性だった。

「北都新聞の政治経済担当記者、有村と申します」

榊原教授はようやくパソコン画面から顔を上げ、有村をチラリと見やった。

「取材はすべてお断りしているの。お引き取りを」

「ある人に『新作のファンデーションの件で』と言うようにアドバイスされたんですが・・・お門違いでしたら、このまま失礼します」

「・・・」

「お邪魔いたしました」

「北都新聞さん!だったわね。10分休憩するけど、それでいいかしら?」

「では手短に」

いいながら有村はするりと、体を滑り込ませる。

「ご用向きは?」

「お時間もアレですんで、単刀直入に伺います。クジラが浜に打ちあがるのはなぜなんでしょうか?」

榊原教授はデスクから立ち上がると、簡素な応接ソファへと移動し、そぶりで有村にも着席を促した。

「私の所へ来たということは、ソナーのことを話せということでしょうね」

「潜水艦や巡洋艦などに搭載されているあのソナーですね?」

「そう。潜水艦などの軍用ソナーは海洋生物にとっては頭が割れそうになるほどの大音量なの。それによってクジラが脳に損傷を受けるケースも数多く報告されている。アメリカではクジラ保護のためにソナーの使用を巡る訴訟もあったんだけど、連邦最高裁判所は原告の訴えを退けた」

「クジラの死より国防が優先、ということですか」

「コーヒーくらいはお出ししましょうか。といってもインスタントだけど」

榊原教授はソファからすっと立ち上がり、作業をしながらつづけた。

「ここからはオフレコで、と言わざるを得ないわね。なんせ国が関わってくる話だから」

「いいんですか、そんな話を伺ってしまって」

「あなた、人をしゃべらせる才能があるわね。相槌がうまい。・・・ふ、冗談よ。はい、コーヒー」

有村は差し出された紙コップを受け取り、軽く頭を下げる。

「あの子が私の名前を出すくらいだから、その程度の信用はしています」

「恐縮です」

「理由はあえて言わないけれど、この数十年でクジラの頭数は爆発的に増えているの。そして、そのクジラと漁業者の船との接触案件も増えている。事故を未然に防ぐためにはどうする?」

「・・・ソナー、ですか?例えば漁港や海上のブイからクジラ除けのアクティブソナーを定期的に発信する」

「国が秘密裏にその実験をしているとしたら?」

「・・・面倒なことになるかもですね。環境保護団体にとっては新たな攻撃目標になる。かといって、漁民の人的被害は防がねばならない」

榊原教授は自分のデスクから小さな箱を持ってくると、応接テーブルの上に置いた。

「安物だけど、クッキーはいかが?」

※(後)に続く↓



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