『滝ノ瀬十三丁』恩師がくれた夏の記憶/気まぐれ雑記
30年以上の年月を経ても、色褪せない記憶。こんな世の中だからこそ、世代を超えて繋いでいきたい風景がある。
1986年8月6日6時35分。当時高校生の私たちは、早朝に『C2(キャンプツー)』を立ち、北海道美瑛町のクワウンナイ川を遡行していた。
沢登りの経験値が低い高校生10人と、国内外の秀峰を経験しているベテラン顧問2人。これがパーティーの構成である。履きなれぬ沢登り用のタビに、いつもより重い装備。浅瀬を選んではザブザブと河岸を歩き、時にザイルを張りながらの渡渉にのぞみ、と四苦八苦しながら私たちは進んだ。
そして午前7時56分、『魚留めの滝』に到着。なぜ具体的に記載できるのかというと、記録(部誌)が残っているからである。
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高校ワンダーフォーゲル部の夏合宿として、私たちは天人峡から2日かけてクワウンナイ川をさかのぼり、そののちに大雪の山々をめぐる縦走登山の計画を立てた。中でも沢登りは、顧問のA先生とH先生が強く推奨したルートだった。
「お前らにぜひ見せてやりたいものがある」
合宿前にA先生は何度も繰り返した。だが、それは何かと聞くと、その都度はぐらかされていた。今のようにSNSどころかパソコンもネットない時代。思えば先生なりのサプライズのつもりだったのだろう。そして私たちは、まんまとしてやられることになったのだ。
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『魚留めの滝』を高巻くと、そこには文字通り、幻想の世界が広がっていた。A先生は言った。
「さ、いよいよお楽しみだ!」
残念ながら当時、写真を撮る余裕がなかったので、『山と渓谷社』さんのwebページでその気分を味わっていただこう。
目の前には、なだらかに続く水の回廊。乱反射して眩い日光。むせかえるような緑の匂い。非日常・非現実の異次元空間の中に、私たちはいた。
「お前たちにこれを見せたかった!」とA先生は満足げに頷いた。
私たちはおそるおそる、未知の空間へと足を踏み出した。誰が呼んだか『滝ノ瀬十三丁』。一丁(町)をおよそ110mとして計算すると、1.5キロほどの距離ということになる。水深は足首までの浅さで、川底の苔がクッションのように足を受け止め、心地いい。
この世に、この地球に、この宇宙に、こんな場所があったんだ。
知らない感覚が、知らない感情が、自分の脳を、体を、目まぐるしく作り変えていく。
あの体験をいまにして何かに例えるならば、そう、アップデート。自分という存在が見えざる何ものかの手で、上書きされていくような、そんな感じ。
顧問のお二人は、その時、私たちに言葉で何かを伝えることをしなかった。私たちが感じるままに、あえて放置してくれたのだと思う。参加した各人が、さまざまなことを感じただろう。私はこう思った。
「世界の輝きを、ひとつ見つけた!」
そしていまは、こう感じている。
「幸せなことに少年時代の私を、素晴らしい大人が導いてくれていた」
1986年の夏、私は恩師に大切なことを教わった。
2021年の今、私は誰かを導けているだろうか。
世界の輝きを、伝えられているだろうか。
縁もゆかりもない方々に向けての発信ではあるけれども、ここまで読んでくださった方、特に若い世代の方には申し上げたい。
今は苦しくても、あなたもきっと出会うよ。
眩しい夏の光に。この世界の輝きに。