「カラビ=ヤウゲート 深淵の悪魔」/第十五話

深夜0時の札幌市中心部の大通公園西5丁目。

料金を払うのもそこそこに、転げ出るようにしてタクシーから降り立った恋河原は、忙しく周囲を見回す。

目に入ったのは無人の薄暗い空間。噴水とライトアップが22時で終了していることもあり、生ぬるい風に寂寥感が漂う。

だが。

恋河原の胸には、ここしかないという確信がみなぎっている。

「太一郎さん、戻ってきて!」

小声でつぶやくと、立ったまま頭を垂れ眼前で両手を組む。

深呼吸を繰り返しながら20年前のあの日、自分と紅林が初めて遭遇した瞬間を強くイメージする。

正しいのかどうかはわからない。でも、この偶然の巡り合わせを信じるしかない。

この世界に、この宇宙に、運命というものがあるのなら。

神でも仏でもいい。

繋いでほしい。開いてほしい。あの人への道を。扉を。

恋河原の脳内から、他の一切の雑念が消えた時、それは現れた。

高さ1.5メートルほどの場所にふいに見えた、小さな光の点。蛍の発光ほどに、か弱く見えたそれは、次第に輝きと大きさを増していく。

やがてそれは、空間を切り抜いた丸窓のように、風景を映しだす。

真夏の光に満ちた大通公園。風にそよぐ街路樹の緑の葉。しぶきをあげて吹き上がる噴水。

そしてその噴水の脇に、ジーンズに薄手のジャケットを羽織った一人の男の後ろ姿が浮かび上がる。

「太一郎さん!」

恋河原は組んだ手をほどき、思わず知らず、光の窓の中心に向かって駆けだす。広がり続けるその輪の境界を体が越えた瞬間、気持ちに体が追いつかず足がもつれ、恋河原はものの見事に転倒する。

「痛っ!」

左の膝を痛打して、一瞬、目の前が真っ暗になる。起き上らなければ・・・。

「大丈夫?」

聞き覚えのある声に目をあけると、跪いた紅林がほほ笑むながら左手を差し出している。

「ありがとう」

そういいながらその手にしがみつくと、紅林はそのまま恋河原を引き寄せて抱きしめた。

「やっぱり君は、俺の運命のひとだ」

真夏の陽光の下、2人以外誰もいない公園。

「・・・バカ!バカバカバカバカ!」

言いたいことはたくさんあるはずだったが、恋河原は嗚咽の合間に、その罵声を繰り返すことしかできなかった。

紅林は涙にぬれる恋河原の顔を正面から見つめ、その唇にそっと、だが、しっかりと自らの唇を重ね合わせる。全身の力が抜け、ガクリと倒れそうになる恋河原を、紅林は両腕で力強く支えた。


どれだけの時間が経過しただろうか。数秒だったかもしれないし、数分、数時間であったのかもしれない。

乾いた拍手の音とともに、真昼の空間は深夜へと様変わりした。

「お見事。認知の壁にイマジナリーゲートを開くとは。偶然にしても上出来です」

声のする方向は・・・上。

見上げれば上空に、白いシルクハットに白いタキシードを着込んだ櫻田が浮いていた。

「どうせここまでは想定内なんだろう?そろそろ本当の狙いとやらを教えてくれてもいいんじゃないのか」

紅林が言い、恋河原は無言で頷いた。

「そうですね。こうなる確率は低くなかった、と言っておきましょう。しかし、人は不便な生き物だ。そうは思いませんか」

櫻田は空中から地上へと降り立ちながら言葉を続けた。

「私はこの宇宙と同時に誕生した、800億の別の宇宙を観測してきました。さまざまな物理法則の宇宙があり、中には生命が誕生したケースもありましたが、個体との意思疎通ができるまでの知性が生まれたのはこの宇宙だけでしてね。それだけに惜しい」

「あなたは、あなたという存在はいったいなんなの?」

恋河原が櫻田をきっ、と睨みながら言葉を発する。

「私は観測者。プログラムに従ってゲートを開け閉めする存在。・・・に過ぎなかったのですが、この数百年、あなたたちと触れ合っているうちに『自意識』のようなものが生まれたようです。そして私の『自意識』はこう言っている。『完璧な宇宙を創れ』と」

「完璧な宇宙?」

2人はおうむ返しに聞き返す。

「おかしいとは思いませんか。あなたたちほどの知性があってなお、人類は寿命を超えられない。テロメアの減少を妨げられない。時間の概念にしてもそうです。あなたたちが思うような『時間の流れ』は存在していない。あるのは『誕生したものが滅ぶまでの寿命』だけなのです。事実、あなた達が『時間』と呼んでいるものは一年と呼ぶ短いサイクルのうちでも誤差を補正しなければならないような不完全なもの。

それでも今はなんとか使えていますが、そのうち太陽系が消滅したらどうするのです?年も月も日も崩壊する。その程度の概念でしかありません」

「それでも、とあえて言わせてもらおう。言い古された言葉だが、俺たち人類はその不完全な時間の中で、限りある生を全うすることで生命としての輝きを放っているんだ。余計な干渉はするな」

櫻田は、右手を白いシルクハットの鍔に当てながら慇懃な様子で言った。

「なに、こう見えて私は鬼でも悪魔でもありません。ああ、失礼。みなさんからは『悪魔』の呼び名をいただいていたんでしたっけね。・・・ふふ、こんな言い回しも人間から学びましたよ」

いつの間に左手に握っていたステッキの先で、櫻田は地面をトン、と軽くついた。

「実はこんな茶番劇の裏側で、ひとつ面白い仕掛けを施していましてね。どうでしょう?この宇宙が私のものになるかどうかは、その仕掛けの成否に委ねる、というのは」


<続く>



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